伊藤桂一とは? わかりやすく解説

いとう‐けいいち【伊藤桂一】

読み方:いとうけいいち

19172016小説家詩人三重生まれ中国での軍隊生活生かした戦記ものを叙事詩的手法で描く。「蛍の河」で直木賞受賞。他に「悲しき戦記」「静かなノモンハン」「月下の剣法者」など。芸術院会員


伊藤桂一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/26 02:23 UTC 版)

伊藤 桂一
(いとう けいいち)
経済往来社『経済往来』第19巻1号(1967)より
誕生 1917年8月23日
日本三重県三重郡神前村(現四日市市
死没 (2016-10-29) 2016年10月29日(99歳没)
墓地 竜が丘俳人墓地
職業 小説家、詩人
国籍 日本
最終学歴 旧制世田谷中学
活動期間 1948年 - 2016年
ジャンル 戦場小説時代小説身辺小説
代表作 『螢の河』(1962年)
『かかる軍人ありき』(1969年)
『兵隊たちの陸軍史』(1969年)
『静かなノモンハン』(1983年)
『花ざかりの渡し場』(1992年)
主な受賞歴 千葉亀雄賞(1952年)
直木賞(1962年)
芸術選奨文部大臣賞(1983年)
吉川英治文学賞(1983年)
地球賞(1997年)
さいたま市文化賞(2004年)
三好達治賞(2007年)
デビュー作 『晩青』(1949年)
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伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 2016年10月29日[1])は、日本小説家詩人。『静かなノモンハン』などの戦場小説や、時代小説私小説風な身辺小説などがある。日本芸術院会員。

経歴

生い立ち

三重県三重郡神前村(現四日市市)の天台宗高角山大日寺に生まれる。4歳の時に交通事故で父が亡くなり、寺の所有を巡る争いから7歳の時に家族で大阪に出て祖母叔母と同居。次いで1926年9歳の時に東京と転々とし、妹の療養のため徳山市にも2年間付き添った。

教師を志して青山師範学校を受験するが失敗し、1932年15歳の時に立正中学に入学、文学に熱中する。

1934年に曹洞宗の寺院に見習いとして入寺し、旧制世田谷中学に転校。詩や小説の投稿を行うようになり、1935年に「文芸首都」に小説「祖父一家」が入選、掲載される。1936年に上野のゴム再生業店に勤め、その後も商社事務員、ビルの清掃業など職を転々としながら、「日本詩壇」などに投稿。詩の雑誌『紅籃』『餐』(後に『馬車』『山河』)『凝視』『内在』などに参加。

1938年より習志野騎兵隊に入隊、1939年に北支に出兵、この間も詩作を続け、短歌数百首を作った。1941年に除隊し、詩誌『馬車』などで詩作。1943年に再度召集されて佐倉歩兵連隊入隊、南京などに配備され、上海郊外で伍長として終戦を迎える。1946年に復員、母と妹の疎開先の三重県三重郡川島村に、次いで愛知県豊橋市に住み、詩作を続けながら、母とともに婦人啓蒙雑誌『婦妃』を発行。

作家活動

1948年に上京し、中西金属工業に勤めながら、『文壇』『不同調』『現代詩』『国際タイムズ』などに詩を発表、1949年に第1回『群像』懸賞小説に「晩青」で佳作入選しデビュー。

日本研究社の学習雑誌『私たちの社会科』に少年小説「地底の秘密」を連載しながら、同社に転職。1950年、『幼年クラブ』に童話「お月さまの匂い」発表。中谷孝雄の紹介で金園社に転職。1951年、同人誌『新表現』に参加、『凝視』では伊藤桂一特集が組まれた。1952年、「雲と植物の世界」で芥川賞候補となり『文藝春秋』に転載、「アリラン国境線」で講談倶楽部賞次席、松下忠、永井路子杉本苑子と四人会を作る。

1953年、金園社がスポンサーとなっていた同人誌『文藝日本』に参加して編集実務を行う。また講談社の講談倶楽部賞関係の新人が集まった「泉の会」に1955年に参加し、ほぼ同じメンバーで1956年に創刊した同人誌『小説会議』に参加した(同人は、生田直親井口朝生、池上信一、早乙女貢童門冬二福本和也ら)。

『文藝日本』のパトロン牧野吉晴のところで寺内大吉と知り合い、彼や司馬遼太郎が出そうとしているという『近代説話』に、やはり『文藝日本』の編集担当だった尾崎秀樹とともに参加した。またこの頃から釣りを趣味とする。

1956年の「敵は佐内だ!」の『講談倶楽部』掲載以後は時代小説も執筆する。母と病弱の妹を抱えた生活苦の中で、1960年末に私家版で300部の詩集『竹の思想』を出版、その直後の1961年に、前年『近代説話』に掲載した、戦場での兵士を描いた短編小説「蛍の河」で直木賞を受賞。『蛍の河』が単行本化され、『週刊新潮』で「悲しき戦記」の連載が始まる。1963年に金園社を退社して作家専業となり、以後多数の小説を刊行。

1962年、長年の疲労から倒れ、野口晴哉による整体操法を受け始め、徐々に体質が改善する。1967年に結婚。1976年、日中友好日本作家代表団の一員として中国訪問。1977年から93年まで、三重芸文協会の小説研究ゼミに毎年出席。1978年、野火の会の訪中団の副団長(団長高田敏子)として中国訪問。1987年、高田敏子らの詩誌「桃花鳥」に参加。1992年、第1回日中大衆文学シンポジウムに副団長(団長尾崎秀樹)として北京訪問、1997年の第2回にも参加。

中谷の死にともない、 1996年に義仲寺落柿舎保存会理事となり、中谷を継いで22代無名庵庵主となる。『中谷孝雄全集』(1997年)編集委員も務める。1999年、妻が死去。2002年に再婚。2003年に宮中歌会始に招待、自転車で転倒して骨髄骨折。2004年、宮中茶会に招待される。

1985年紫綬褒章を受章、2001年日本芸術院賞恩賜賞を受賞、芸術院会員。2002年に勲三等瑞宝章を受章[2]

「雲と植物の世界」が『文藝春秋』に載り、「これはわが部隊のことではないか」と伊藤と同じ部隊の元兵士たちが集合した。それをまね、旧日本軍の各部隊で、「戦友会」が生まれる契機となった。

2016年10月29日に老衰にて死去。99歳没[1][3]。叙従四位[4]

受賞歴

  • 1949年 - 「晩青」で第1回「群像」懸賞小説佳作受賞。
  • 1952年 - 「夏の鶯」で第4回千葉亀雄賞受賞。
  • 1962年 - 「螢の河」で第46回直木賞受賞[5]
  • 1983年 - 「静かなノモンハン」で第34回芸術選奨文部大臣賞および第18回吉川英治文学賞受賞。
  • 1997年 - 詩集「連翹の帯」で第22回地球賞受賞。
  • 2001年 - 日本芸術院賞恩賜賞受賞、日本芸術院会員。
  • 2004年 - さいたま市文化賞
  • 2007年 - 詩集「ある年の年頭の所感」で第2回三好達治賞受賞。

候補等

  • 1952年 - 「アリラン国境線」第3回講談倶楽部賞次席(春桂多名義)
  • 1952年 - 「雲と植物の世界」第27回芥川賞候補
  • 1952年 - 「夏の螢」サンデー毎日大衆文芸入選
  • 1953年 - 「黄土の牡丹」第29回芥川賞候補
  • 1954年 - 「最後の戦闘機」オール讀物新人杯次席、第33回直木賞候補(三ノ瀬渓夫名義)
  • 1961年 - 「黄土の記憶」第45回芥川賞候補

委員等

作品

『悲しき戦記』を原作とする東宝映画『血と砂』(1965年)。三船敏郎仲代達矢らが出演した。

一連の戦争小説のうち「螢の河」などは自身の中国戦線での経験を元にしているが、『ノモンハン戦記』や『遥かなインパール』などでは体験者の元兵士らに取材して執筆している。これらについて自身では、戦場にいた兵士達を代弁する語り部として書いているものとして、戦場小説と呼んでいる。「螢の河」について詩人の佐藤正子は「詩人の資質を示す簡潔な文体の叙情豊かな短篇」[6]と評している。

時代小説としては、「風車の浜吉・捕物綴」などの捕物帖、「月下の剣法者」などの剣豪小説、市井の人々の暮らしを描いたものなどがある。

「落日の悲歌」は1971年に宝塚歌劇団星組で「我が愛は山の彼方に」というタイトルで舞台化され、その後も何度か再演された。1968年には「おぼろ夜」が歌舞伎座で上演、「愛の樹海」はテレビドラマ化された。趣味の釣りを題材にした作品も「源流へ」など多い。

詩集

  • 『竹の思想』私家版、1961年。
  • 『定本・竹の思想』南北社、1968年。
  • 『伊藤桂一詩集』五月書房、1975年。
  • 『黄砂の刻』潮流社、1981年。
  • 『伊藤桂一詩集』土曜美術社、1983年。
  • 『連翹の帯』潮流社、1997年。
  • 『ある年の年頭の所感』潮流社、2006年。
  • 『私の戦旅歌とその周辺』講談社、1998年。(『私の戦旅歌』講談社文芸文庫、短歌とエッセイ)

小説など

  • 『花盗人』講談社、1962年。
  • 『螢の河』文藝春秋新社、1962年。のち文庫、講談社文芸文庫「蛍の河・源流へ」
  • 『夏の鶯』東京文芸社、1962年。
  • 『ナルシスの鏡』南北社、1962年。
  • 『水と微風の世界』中央公論社、1962年。のち文庫
  • 『落日の悲歌』東京文芸社、1963年。
  • 『水の天女』東方社、1963年。「亡霊剣法」徳間文庫
  • 『海の葬礼』東都書房、1963年。
  • 『悲しき戦記』正続 新潮社、1963-64年。のち講談社文庫、光人社NF文庫
  • 『戦記 夕陽と兵隊 荒野に消えた幻の関東軍』双葉社、1964年。
  • 『媚態』東京文芸社、1964年。
  • 『溯り鮒』新潮社、1964年。
  • 『落日の戦場』講談社、1965年。
  • 『黄土の狼』講談社、1965年。のち集英社文庫
  • 『生きている戦場』南北社、1966年。
  • 『樹海の合唱』集英社、1966年。
  • 『淵の底』新潮社、1967年。のち文庫
  • 『かるわざ剣法』人物往来社、1967年。のち徳間文庫
  • 『「沖ノ島」よ私の愛と献身を』講談社、1967年。
  • 回天』講談社、1968年。
  • 『実作のための抒情詩入門』大泉書店、1968年。
  • 『かかる軍人ありき』文藝春秋、1969年。のち光人社NF文庫
  • 『源流へ』新潮社、1969年。
  • 『戦場の孤愁』東京文芸社、1969年。
  • 『おもかげ』東京文芸社、1969年。
  • 『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』番町書房(ドキュメント=近代の顔 1)、1969年。のち、新潮文庫、新潮選書(『兵隊たちの陸軍史』)
  • 『遥かな戦場』三笠書房、1970年。のち光人社NF文庫
  • 『草の海 戦旅断想』文化出版局、1970年。
  • 『椿の散るとき』新潮社、1970年。のち文庫
  • 『藤の咲くころ』新潮社、1971年。のち文庫
  • 『遠い岬の物語』新潮社(新潮少年文庫)、1972年。
  • 『女のいる戦場』番町書房、1972年。
  • 『石薬師への道』講談社、1972年。
  • 『ひとりぼっちの監視哨』講談社、1972年。のち文庫
  • 『イラワジは渦巻くとも 続かかる軍人ありき』文藝春秋、1973年。
  • 『果てしなき戦場』広済堂出版、1973年。
  • 『夜明け前の牧場 人生小説集』家の光協会、1974年。
  • 『あの橋を渡るとき』新潮社、1974年。
  • 『燃える大利根 風説天保水滸伝』実業之日本社、1975年。
  • 『警備隊の鯉のぼり』光人社、1977年。
  • 『虹』新潮社、1977年。
  • 『ひまわりの勲章』光人社、1977年。のちNF文庫
  • 『紅梅屋敷の女』講談社、1977年。
  • 『深山の梅』毎日新聞社、1978年。のち新潮文庫
  • 風車の浜吉・捕物綴シリーズ
    • 『病みたる秘剣 風車の浜吉・捕物綴』新潮社、1978年。のち文庫、学研M文庫
    • 『隠し金の絵図 風車の浜吉・捕物綴』毎日新聞社、1991年。のち新潮文庫、学研M文庫
    • 『月夜駕籠 風車の浜吉捕物綴』新潮社、1995年。のち文庫、学研M文庫
    • 『妙覚尼の呪術 風車の浜吉・捕物綴』元就出版社、2014年。
  • 『峠を歩く』日本交通公社出版事業局、1979年。
  • 『黄塵の中 かえらざる戦場』光人社、1979年。のちNF文庫
  • 『釣りの風景』六興出版、1979年。のち平凡社ライブラリー
  • 『川霧の女』講談社、1980年。
  • 『捜索隊、山峡を行く』光人社、1980年。
  • 『密偵たちの国境』講談社、1981年。
  • 『桃花洞葛飾ごよみ』毎日新聞社、1983年。
  • 『静かなノモンハン』講談社、1983年。のち文庫
  • 『戦場の旅愁』光人社、1983年。
  • 『雨の中の犬』講談社、1983年。
  • 『黄色い蝶』東京文芸社、1984年。
  • 『水の景色 短篇名作選』構想社、1984年。
  • 『戦旅の四季』光人社、1985年。
  • 『河鹿の鳴く夜』東京文芸社、1985年。のち徳間文庫
  • 『最後の戦闘機』光人社、1985年。
  • 『戦旅の手帳 兵隊のエッセイ1』光人社、1986年。
  • 『草の海 兵隊のエッセイ 2』光人社、1986年。
  • 『秘剣・飛蝶斬り』新潮社、1987年。のち文庫
  • 『鬼怒の渡し場』毎日新聞社、1987年。
  • 二宮尊徳 世のため人のために働き学んだ人』新学社・全家研(少年少女こころの伝記)、1988年。
  • 『秘めたる戦記』光人社、1988年。のちNF文庫
  • 『月あかりの摩周湖』実業之日本社、1989年。
  • 『犬と戦友』講談社、1989年。
  • 一休』講談社(少年少女伝記文学館)、1989年。
  • 『銀の鳥籠』光人社、1990年。
  • 『鈴虫供養』光文社文庫、1991年。
  • 『秘剣やませみ』講談社、1991年。
  • 『花ざかりの渡し場』実業之日本社、1992年。のち新潮文庫
  • 『遠花火』毎日新聞社、1993年。
  • 『遥かなインパール』新潮社、1993年。のち文庫
  • 『月下の剣法者』新潮社、1994年。のち文庫
  • 『旅ゆく剣芸師 矢車庄八風流旅』光風社出版、1996年。「仇討月夜」学研M文庫
  • 『文章作法・小説の書き方』講談社、1997年。
  • 『軍人たちの伝統 かかる軍人ありき』文藝春秋、1997年。
  • 『秋草の渡し』毎日新聞社、1998年。
  • 『新・秘めたる戦記』全3巻 光人社、1998年。
  • 『大浜軍曹の体験』光人社、2000年。
  • 『南京城外にて』光人社、2001年。
  • 『黄河を渡って』光人社、2002年。
  • 『鎮南関をめざして 北部仏印進駐戦』光人社、2003年。
  • 『藤井軍曹の体験 最前線からの日中戦争』光人社、2005年。
  • 『「衣兵団」の日中戦争』光人社、2007年。
  • 『若き世代に語る日中戦争』文春新書、2007年。

共著編

  • 『釣りの歳時記』(編)ティビーエス・ブリタニカ、1978年。
  • 『日本の名随筆 別巻41 望郷』(編)作品社、1994年。
  • 伴野朗共著『中国の群雄 5 乱世の英雄』 講談社、1997年。

翻訳

  • 于強『風媒花 流れる星の下で』光人社、1987年。(夏文宝共訳)

作品集

  • 『昭和戦争文学全集 3』集英社、1966年(「雲と植物の世界」「螢の河」収録)
  • 『伊藤桂一時代小説自選集』(全3巻)光人社、1997年。
  • 『伊藤桂一集(もだん時代小説 第9巻)』リブリオ出版、1999年。

脚注

  1. ^ a b 伊藤桂一氏(直木賞作家・詩人)が99歳にて29日逝去”. 文芸同志会通信 (2016年10月29日). 2016年10月31日閲覧。
  2. ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
  3. ^ “直木賞作家の伊藤桂一さんが死去”. 共同通信. (2016年10月31日). http://this.kiji.is/165731805514432520?c=110564226228225532 2016年10月31日閲覧。 
  4. ^ 『官報』第6913号、平成28年12月6日
  5. ^ 直木賞-選評の概要-第46回
  6. ^ 『花ざかりの渡し場』(新潮文庫、1996年)解説

参考文献

  • 年譜、著書目録、大河内昭爾「解説 戦場と渓流の叙情」(『静かなノモンハン』講談社学術文庫、2005年。)
  • 大村彦次郎『文壇挽歌物語』筑摩書房、2011年。

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