我が愛は山の彼方にとは? わかりやすく解説

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我が愛は山の彼方に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 07:33 UTC 版)

我が愛は山の彼方に』(わがあいはやまのかなたに)は、宝塚歌劇団ミュージカル作品。1971年初演。以降、度々宝塚歌劇団にて再演されている作品の一つ。

脚本は植田紳爾。原作は伊藤桂一の小説『落日の悲歌』。

これまでの上演

1971年 - 星組公演(初演)
1984年 - 星組公演
  • 6月29日から8月8日[7](新人公演は7月13日[8]と7月27日[8])に宝塚大劇場、11月3日から11月28日[9](新人公演は11月14日[8])まで東京宝塚劇場にて、宝塚歌劇団創設70周年記念公演として上演。芸術祭賞・優秀賞[10]を受賞。
  • 宝塚の形式名は「宝塚グランド・ロマン[7][9]」、18場[7][9]
  • 演出は植田紳爾[7][9]が担当。
  • 併演は『ラブ・エキスプレス[7][9]
  • 星組2番手男役の山城はるかの退団公演であった。
  • この時期には、新人公演は配役を替えて2回開催されていたが、東京宝塚劇場の公演時には1回になっている。
1985年 - 星組公演
  • 形式名は「宝塚グランド・ロマン[11]
  • 併演は『ラブ・エキスプレス[11]
  • 4月14日 - 4月30日[11](地方公演)
  • 4月14日 大津
  • 4月16日 郡山
  • 4月17日 仙台
  • 4月19日 伊勢崎
  • 4月20日 千葉
  • 4月21日 黒磯
  • 4月23日 浦和
  • 4月24日 秦野
  • 4月26日 奈良
  • 4月28日 京都府丹後
  • 4月29日 舞鶴
  • 4月30日 福井
  • 10月12日 岡山
  • 10月13日 広島
  • 10月15日 鳴門
  • 10月17日 四日市
  • 10月18日 西尾
  • 10月19日 松阪
  • 10月20日 一宮
  • 10月22日 相模原
  • 10月23日 真岡
  • 10月26日 深川
  • 10月27日 旭川
  • 10月28日 滝川
  • 10月29日 札幌
  • 10月31日 函館
  • 11月2日 苫小牧
  • 11月4日 稚内
1999年 - 2000年 - 星組公演


2011年 - 月組公演
  • 選抜メンバーにて全国ツアーにて上演。初めて星組以外の組での上演。
  • 公演期間は11月19日(土)から12月11日(日)まで
  • 脚本・演出は植田紳爾が担当
  • 形式名は「宝塚グランド・ロマン」
  • 併演は『Dance Romanesque(ダンス ロマネスク)』
  • 以上、参考資料は宝塚歌劇団・2011年星組全国ツアー
  • 台本に大幅な修正が加えられたため、ブルテとジェリメ役は出てこず、竜林と竜淵の役どころには玄喜役ひとりにまとめられている

主な登場人物

  • 朴秀民
  • 万姫
  • チャムガ
  • ブルテ
  • ジュリメ
  • エルチ
  • 竜淵
  • 竜林
  • 楚春

あらすじ

10世紀高麗。高麗の武将・朴秀民と婚約者・万姫は、桃の花が咲く頃に婚礼の予定だった。秀民が居ない間に万姫の住む地方が女真国の軍に襲撃され、万姫は女真へと連れ去られる。秀民は婚約者を奪った女真への復讐のため軍務に没頭する。

一方、女真に連れ去られた万姫は、女真の武将チャムガの配下にあった。真摯な武人であるチャムガは万姫を丁重に扱い、高麗へ返すことを約束する。だが、一度敵の手に落ちた女が、敵に何もされなかったと信じてもらえる訳はなく、まともな女として扱われないことを知っている万姫は、祖国へ帰ったとしても幸せになれないと思い、チャムガの恩恵にすがって生きることを決意する。やがて万姫の境遇に同情したチャムガは、万姫への密かな想いを募らせていく。

チャムガの婚約者のジュリメは、その想いを察知して、嫉妬のあまり万姫を暗殺しようとする。ジュリメの兄でブルテ国王は、そんな妹を哀れみ、チャムガに万姫を高麗へ返すことを許すかわりに、高麗へ再び攻めるように命令する。

生真面目なチャムガは、万姫を高麗へ戻すために高麗に攻め込むが、それは勝算のない戦いだった。復讐を果たすためだけに生きてきた秀民は罠を仕掛けて女真軍を壊滅に追い込み、秀民とチャムガの一騎討ちとなり、秀民が勝利を収める。

万姫は秀民の元に返されたが、万姫は秀民の元に戻れたことを素直に喜ぶことができなかった。闘いに破れたチャムガの最期を知った万姫が取った行動は…。

主な配役

主なキャスト
  1971年星組
(宝塚)
1984年星組
(宝塚・東京)
1985年星組
(上段:4月地方・福岡)
(下段:10・11月地方)
1999年星組
(博多座)
1999年星組
(宝塚・東京)
2011年月組
(全国ツアー)
朴秀民 鳳蘭[1][3] 峰さを理[7][9][11] 稔幸[12][13][14] 霧矢大夢[16]
万姫 大原ますみ[1][3] 湖条れいか[7][9][11] 星奈優里[12][13][17] 蒼乃夕妃[16]
チャムガ 安奈淳[1][3] 山城はるか[7][9] 紫苑ゆう[11]
日向薫[11]
彩輝直[12] 絵麻緒ゆう[13][15]
彩輝直[15][注 1]
龍真咲[16]
楊将軍 天城月江[1] ? ? ? ? ?
李将軍
※2011年は
季将軍とする
沖ゆき子[1] 小柳日鶴[7][9] ? ? ? 綾月せり[16]
永将軍 美吉左久子[1] ? ? ? ? ?
柳花 瑠璃豊美[1] 葉山三千子[7][9] ? ? ? 一原けい[16]
ブルテ[注 2] 若山かずみ[1] 日向薫[7][9] 新城まゆみ
(両公演共通[11]
久城彬[12] 彩輝直[13][15]
久城彬[15][注 1]
-
ジェリメ 砂夜なつみ[1] 南風まい[7][9] ありす未来[11]
南風まい[11]
羽純るい 羽純るい[13][15] -
エルチ
※2011年は
エルムチとする
但馬久美[1] 新城まゆみ[7][9] 高瀬美亜[11]
夏美よう[11]
夏美よう 夏美よう[13][15] 越乃リュウ[16]
竜淵
※2011年は
玄喜[注 3]
水城玉藻[1] 洋ゆり[7][9] 洋ゆり[11]
一樹千尋[11]
朝澄けい[12] 英真なおき[13][15]
朝澄けい[15][注 1]
青樹泉[16]
ジュチ ? 萬あきら[7][9] ? ? ? ?
竜林
※2011年は
玄喜[注 3]
松あきら[1] 紫苑ゆう[7][9] 三城礼
(両公演共通[11]
真飛聖[12] 音羽椋[13][15]
真飛聖[15][注 1]
青樹泉[16]
楚春 衣通月子[1] 紫城いずみ 紫城いずみ[11]
葦川牧[11]
妃里梨江[12] 秋園美緒[13][15]
妃里梨江[15][注 1]
憧花ゆりの[16]
ポロチョ ? 未央一(宝塚[7]
光城ひろみ(東京[9]
? 莉理せいら[12] 久城彬[13][15]
(宝塚の代役:高央りお[13]
高央りお[15][注 1]
?
テムチ ? 藤京子[7][9] ? ? ? ?
永順 ? 岸香織[7][9] ? ? ? 磯野千尋[16]
金副将軍 ? ?(宝塚)
吹雪仁美(東京[9]
? ? ? ?
新人公演の主なキャスト
  1971年星組
(宝塚・東京)
1984年星組
(宝塚)
上段:7月13日
下段:7月27日
1984年星組
(東京)
1999年星組
(宝塚・東京)
朴秀民 三代まさる[3] 紫苑ゆう[8]
三城礼[8]
紫苑ゆう[8] 真飛聖[13][15]
万姫 沢かをり[3] 花愛望都[8]
毬藻えり[8]
毬藻えり[8] 秋園美緒[13][15]
チャムガ 洋ゆたか[3] 燁明[8]
大輝ゆう[8]
三城礼[8] 朝澄けい[13][15]
ブルテ[注 2] 玉城あけみ(宝塚)
千雅てる子(東京)
千珠晄[8]
渡はや[8]
渡はや 美椰エリカ[13][15]
ジェリメ 奈緒ひろき 洲悠花[8]
葦川牧[8]
葦川牧[8] 妃里梨江[13][15]
エルチ 斎奈緒 泉つかさ
愛甲充
愛甲充 涼紫央[13][15]
竜淵 安里梢 三城礼[8]
千珠晄[8]
千珠晄[8] 雪路歌帆[13][15]
竜林 南海わたり 愛甲充[8]
燁明[8]
燁明[8] 大真みらん[13][15]
ポロチョ ? ? ? 美稀千種[13][15]
楚春 愛みちる 福寿ゆき
麻木瑞穂
花愛望都[8] 水野ちはる[13][15]

主な楽曲

  • 我が愛は山の彼方に
  • 花木槿
  • 桃の花
  • 桃の花の下で
  • チュルクの恋
  • 椿

スタッフ

1971年星組

宝塚大劇場

東京宝塚劇場

主に長谷川一夫[6](演出)、植田紳爾[6](脚本)がいる。

1984年星組

1985年星組

  • 脚本:植田紳爾[7]
  • 演出[7]:植田紳爾・長谷川一夫・阿古健

1999年 - 2000年星組

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e f 東京宝塚劇場にて役替わり公演
  2. ^ a b 初演のみ王妃。以後は国王の設定
  3. ^ a b 竜淵・竜林はひとりまとめ

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 60年史別冊 1974, p. 112.
  2. ^ a b c 60年史別冊 1974, p. 113.
  3. ^ a b c d e f g h 100年史(舞台) 2014, p. 293.
  4. ^ 60年史別冊 1974, p. 115.
  5. ^ 60年史別冊 1974, p. 116.
  6. ^ a b c d 90年史 2004, p. 280.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 80年史 1994, p. 305.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 80年史 1994, p. 308.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 80年史 1994, p. 307.
  10. ^ 80年史 1994, p. 268.
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 80年史 1994, p. 315.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n 90年史 2004, p. 105.
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av 90年史 2004, p. 98.
  14. ^ a b c d e f g h 90年史 2004, p. 115.
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 90年史 2004, p. 116.
  16. ^ a b c d e f g h i j 宝塚歌劇団の主な配役
  17. ^ 90年史 2004, p. 115-116.

参考文献

外部リンク


我が愛は山の彼方に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 01:26 UTC 版)

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