宝塚大劇場とは? わかりやすく解説

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たからづか‐だいげきじょう〔‐ダイゲキヂヤウ〕【宝塚大劇場】

読み方:たからづかだいげきじょう

宝塚市にある宝塚歌劇団劇場大正13年1924開館平成5年1993)に改築された。小劇場宝塚バウホール併設する


宝塚大劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 08:45 UTC 版)

宝塚大劇場(たからづかだいげきじょう)は、兵庫県宝塚市栄町にある劇場宝塚歌劇団の本拠地であり、各組によるミュージカル公演で毎年100万人以上の観客を動員する。そのほか音楽コンサートも定期・不定期に開催。1階席と2階席があり、座席数は2,550。小劇場「宝塚バウホール」(座席数526)を併設する。


  1. ^ “【橋本奈実の芸能なで読み】まゆゆ初のミュージカル主演 月2回“ムラ”通いの熱心な宝塚ファン、夢叶い舞台へ”. 産経ニュース (産経デジタル). (2018年5月17日). https://www.sankei.com/article/20180517-Q36S5FNTJVLM3O5KPQAXTJ3GAY/ 2019年12月17日閲覧。 
  2. ^ (5)ムラで花開き、進撃する”. スターファイル. 朝日新聞社 (2014年3月31日). 2019年12月17日閲覧。
  3. ^ 青弓社編集部 2009, p. 57.
  4. ^ a b c d e “イメージは南欧風 阪急電鉄 新宝塚大劇場がしゅん工”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1992年10月1日) 
  5. ^ “中谷美紀、純白のドレスでタカラジェンヌの聖地に立つ 『阪急電車』プレミア試写会”. eltha (oricon ME). (2011年3月31日). https://beauty.oricon.co.jp/news/86144/full/ 2020年3月12日閲覧。 
  6. ^ “劇場周辺「歌劇町」に 宝塚市、変更を断念”. 日本経済新聞. (2013年1月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG23050_U3A120C1CC0000/ 2020年3月12日閲覧。 
  7. ^ “「宝塚歌劇の殿堂」オープン”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2014年4月4日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/04/04/0006835980.shtml 2020年3月12日閲覧。 
  8. ^ “「宝塚歌劇の殿堂」がオープン”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2014年4月4日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140404-1280313.html 2020年3月12日閲覧。 
  9. ^ Salon de Takarazuka ステージスタジオ”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2020年3月12日閲覧。
  10. ^ 宝塚大劇場 チャイルドルーム”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2020年3月12日閲覧。
  11. ^ 宝塚歌劇開演中に客が突然ピストル発射『東京日日新聞』昭和4年2月21日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p556 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)


「宝塚大劇場」の続きの解説一覧

宝塚大劇場(初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 21:21 UTC 版)

「宝塚大劇場」の記事における「宝塚大劇場(初代)」の解説

1924年開場座席数3,500宝塚歌劇創設当初公演行っていた『パラダイス劇場』(プール改造したもので火事により焼失)に代わり1992年まで多く作品上演された。 竣工当初歌舞伎座南座などの歌舞伎劇場と同じよう花道設置されていたが、『銀橋』の新設に伴い撤去され銀橋舞台袖の道に、花道役割当てられるようになった1927年9月1日日本最初レビューモン・パリ吾が巴里よ!~』を上演して以降レビュー作品次々と上演して黄金時代迎えた1935年1月25日火事見舞われたが、小林一三英断によって早急に復興されて、同年4月再開した天津乙女三浦時子橘薫小夜福子葦原邦子草笛美子美空暁子春日野八千代神代錦霧立のぼる轟夕起子等の多くスターがこの時代彩った。 しかし、戦局の悪化につれて戦争意識した作品多くなり、1944年勧進帳/翼の決戦』を最後に大劇場閉鎖海軍接収された(宝塚海軍航空隊)。 1945年日本の敗戦アメリカ軍接収されたが、後に返還され1946年カルメン春のをどり愛の夢)』で再開春日野八千代故里明美乙羽信子越路吹雪淡島千景久慈あさみ南悠子などのスター戦争で傷ついた人々の心を癒した。その後1950年代から1960年代にかけては、『虞美人』、『シャンゴ』、『ジャワの踊り子』、『華麗なる千拍子』、『ウエスト・サイド物語『マイ・フェア・レディ』など数々代表作上演し寿美花代高千穂ひづる有馬稲子明石照子新珠三千代八千草薫淀かほる浜木綿子那智わたるなどのスター活躍する1958年4月1日花組公演していた『宝塚春のおどり/花の中の子供たち』の上中に代役出演していた月組香月弘美死亡するという事故が発生した1974年に『ベルサイユのばら』、1977年『風と共に去りぬ』上演され初風諄榛名由梨汀夏子鳳蘭安奈淳松あきら上原まり瀬戸内美八順みつきなどのスター彩り添える。 1980年代には麻実れい峰さを理高汐巴大地真央黒木瞳剣幸などのスター輩出した大劇場であったが、60年上の歳月老朽化1990年10月から同じ敷地内新し設備整った新大劇場建設され1992年11月杜けあきさよなら公演忠臣蔵』を最後に68年幕を閉じたまた、劇団員以外に最年少旧劇場を踏んだのは、当時小学生タカラジェンヌ志望女の子であり、千秋楽杜けあき花束贈呈した際のことである。 宝塚歌劇以外では、ヘルベルト・フォン・カラヤンNHK交響楽団演奏会1954年)やNHKイタリア歌劇の上演(1956年1959年)、ヴィレッジ・シンガーズ・ショー(1968年)、越路吹雪リサイタル1975年)なども行われた。ほか、毎年1月アマチュアトップコンサート開催される

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宝塚大劇場(2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 21:21 UTC 版)

「宝塚大劇場」の記事における「宝塚大劇場(2代目)」の解説

1992年9月28日竣工1993年1月1日開場座席数2,550南ヨーロッパ風の外観を持つ。初代異なる点として、 宝塚歌劇団専用劇場であること 吊り装置2段式とし次回公演リハーサルステージ上で可能にしたこと 席をちどり配列にすることで、前列観客後列観客視界の邪魔にならないように配慮されたこと 席の後方上階支えがあったが、撤去され観劇しやすい客席になったこと 3階席を設けず座席空間広く取ったこと 照明システムコンピューター制御導入し、約1000パターン演出対応できるようになったこと などが挙げられる。 杮(こけら)落とし公演紫苑ゆう率い星組の『宝寿頌/Parfum de Paris』。初期には安寿ミラ一路真輝天海祐希活躍1995年1月17日阪神・淡路大震災では、盆を支え折れるなど大きな被害を受ける安寿ミラ退団公演などが全日中止追い込まれるも、3月には復興果たし国境のない地図』で再開された。翌1996年、ウィーンミュージカル『エリザベート』が日本初演で大成功収める1998年宙組発足し東京宝塚劇場建て替え工事間中仮設劇場TAKARAZUKA1000days劇場開場時から宝塚東京共に通年公演実施され公演形態にも変化生じた2004年末には銀橋カーブ緩やかにして1階最前列中央の客席27増やす改修工事実施2005年から、客席数は2,550となった2009年より、1階最前列を0列から1列に改称し合わせて席のグレード見直し行った2011年3月30日には、映画阪急電車 片道15分の奇跡」の試写会上演された。大劇場映画イベント開かれるのは、大劇場創設以来初めてとなる。 2014年4月宝塚歌劇団創立100周年迎えにあたり宝塚市同大劇場周辺の町名を「歌劇町」に変更する方針掲げていたが、住民からの反発強く変更断念している。

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