宝塚歌劇団2期生とは? わかりやすく解説

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宝塚歌劇団2期生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 20:53 UTC 版)

宝塚歌劇団2期生(たからづかかげきだん2きせい)は、1913年(大正3年)11月に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚唱歌隊。翌12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)に入団し、1914年(大正4年)に初舞台を踏んだ4名を指す[1][2]

概要

初舞台の演目は、篠原淺茅:1914年の第一回公演『ドンブラコ/浮れ達磨/胡蝶』[3]

この期には、初代瀧川末子が入団。

一覧

※同じ初舞台グループで分けている[4]

芸名[4] 読み仮名[4] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 配属[4] 退団年[4] 備考
篠原淺茅 しのはら あさじ 10月30日[5] 大阪府大阪市[5] 百人一首 娘役[6] 1921年
芸名[4] 読み仮名[4] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 配属[4] 退団年[4] 備考
瀧川末子 たきがわ すえこ 1月27日[7] 兵庫県川辺郡小浜村[8] 百人一首 男女両役[6] (花組)[注釈 1] 1931年 宝塚音楽学校日本舞踊講師[9]
人見八重子 ひとみ やえこ 2月15日[7] 大阪府[7] 百人一首 1930年
吉野雪子 よしの ゆきこ 9月1日[7] 大阪府[7] 百人一首 カーちゃん[10] 娘役 1919年 夫は楳茂都陸平[10][11]

脚注

注釈

  1. ^ 組分けがなされた後

出典

  1. ^ 90年史 2004, p. 179.
  2. ^ 100年史(舞台) 2014, p. 17.
  3. ^ 100年史(舞台) 2014, p. 38.
  4. ^ a b c d e f g h i 100年史(人物) 2014, p. 6.
  5. ^ a b 藤山 1920, p. 147.
  6. ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 130.
  7. ^ a b c d e 藤波 1919, p. 96.
  8. ^ 橋詰せみ郎『寳塚の歌劇少女』新正堂書店、1923年12月5日、55頁。
  9. ^ 『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、216頁。 
  10. ^ a b 編集・発行:市橋浩二『宝塚歌劇五十年史』宝塚歌劇団、1964年5月1日、134頁。doi:10.11501/2504313 
  11. ^ 宇佐見正「あゆみI (1914〜32)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、55頁。 

参考文献




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