我が心のジョージアとは? わかりやすく解説

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我が心のジョージア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 05:48 UTC 版)

我が心のジョージア」(わがこころのジョージア、Georgia on My Mind)は、ポピュラー音楽の著名なスタンダード・ナンバーの一つである。アメリカ合衆国南部にあるジョージア州の州歌となっている。

BMI調べによる「20世紀アメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」の第10位にランクされた[1]

解説

ホーギー・カーマイケル作曲、ステュアート・ゴレル(Stuart Gorrell)作詞。曲名のジョージアとは、カーマイケルの姉妹のジョージアのために歌詞が書かれたとする説がある[2]が、1965年発表の彼の2番目の自伝で、サックス奏者のフランキー・トラムバウアーからアメリカ南部のジョージア州をイメージした 「Gorgia」という曲の注文から作られたことが述べられ、州名を指していると広く認められている。1930年9月15日に、ホーギー・カーマイケル楽団でレコード録音がなされるが、「One Night in Havana」というレコードの最後のほうであった。

1931年に、フランキー・トラムバウアーのレコードがヒットし、ジャズ、ブルースのスタンダードナンバーとして定着するまでになった。有名無名を問わず、多くの歌手・楽団がカヴァーすることとなった。特に1960年レイ・チャールズによるカヴァーが広く知られる。1979年には、ジョージア州歌となった。

1996年7月19日、州都アトランタで行われた第26回オリンピック競技大会(アトランタ・オリンピック)の開会式で、チャールズによって歌唱された。

カヴァー

その他

1968年ビートルズが発表した作品「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の歌詞に、本曲の題名が織り込まれた。これは、当時ソビエト連邦構成国だった南コーカサスグルジア・ソビエト社会主義共和国の英語名Georgian Soviet Socialist Republicに由来する[注釈 1]

嘉門タツオは「ジャージ・オン・マイ・マインド」という本曲の替え歌を製作している。長年愛用しているジャージの様子を歌うコミックソングである。

脚注

注釈

  1. ^ 同国は1990年11月にグルジア共和国に改名し、1991年4月に独立を宣言。同年12月のソビエト連邦崩壊により名実共に独立した。グルジア共和国は2008年に独立国家共同体を脱退してロシアとの国交を断絶した。2015年4月、日本国政府は同国の要請を受けて、同国の外名ロシア語由来(異説あり)とされる「グルジア」から英語読みの「ジョージア」に変更した。

出典

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