我が手もて吾が口を写さん-詩人 黄遵憲-
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「黄遵憲」の記事における「我が手もて吾が口を写さん-詩人 黄遵憲-」の解説
黄遵憲は清末を代表する詩人としても著名である。「近世詩界三傑」の一人といわれた黄遵憲は、生涯を終えるまでにおよそ千首の詩を残しているが、作詩は10歳から始めたられた。その詩は新派詩として知られ、また本人は「詩界革命」の先駆者と目される。題材には日常の生活を選んだものが多く、たとえば『日本雑事詩』では、印紙や新聞紙、幼稚園など身近なものが取り上げられている。この『日本雑事詩』は総理衙門に提出して同文館より刊行したものが最初の刊本であるが、日本を手軽に紹介する書として人気を呼び、以後中国および日本で何度も出版された。こうした日常に密着した作詩姿勢は、詩に口語を積極的に導入しようという文学理論と密接に結びついている。黄遵憲には眼前の現実を可能な限り忠実・仔細に描写したいという写実的な欲求があったために、桐城派のような擬古的な表現方法には批判的であった。厳復(げんぷく)の『天演論』(てんえんろん)が社会進化論を中国に紹介したことを高く評価しながらも、その文体が典雅さ・格調の高さに拘泥するあまり難解すぎると批判したのは、そうした文学観に由来する。新たな時代には新たな表現こそ必要不可欠と考えたのであって、「我が手もて吾が口を写せば、古も豈に能く拘牽(こうけん)せんや」(「雑感」の一節、拘牽は物事にとらわれるの意)と述べ言文一致を詩文に求めた。それは後の文学革命を先取りしたものに他ならない。なお、奇しくも黄遵憲が来日していた時期と二葉亭四迷の『浮き雲』が発表された時期は重なる(黄の来日の方が数年早い)。 日常に密着した詩は注目に値するが、題材の量からいって最も多いのは時事問題に関するものである。上で触れた「逐客篇」はその代表例であるが、その他にも日清戦争の敗北に心痛める「哀旅順」や 義和団の時の「七月二十一日外国聯軍入犯京師」等がある。これらの詩には黄遵憲の批判精神が遺憾なく発揮されており、時事への関心こそが創作の原動力だったことが分かる。黄遵憲の詩は、叙情詩よりも叙事詩に優れると言われるが、その詩は単なる文学にとどまらず、当時を生きた一士大夫が詩に託して心の内を吐露したという点で貴重な歴史証言ともなっている。それ故に黄遵憲の詩は「詩史」と評されている。以下はその例。
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