我が手もて吾が口を写さん-詩人 黄遵憲-とは? わかりやすく解説

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我が手もて吾が口を写さん-詩人 黄遵憲-

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 02:08 UTC 版)

黄遵憲」の記事における「我が手もて吾が口を写さん-詩人 黄遵憲-」の解説

黄遵憲清末代表する詩人として著名である。「近世詩界三傑」の一人といわれた黄遵憲は、生涯終えるまでにおよそ千首の詩を残しているが、作詩10歳から始めたられた。その詩は新派詩として知られ、また本人は「詩界革命」の先駆者目される題材には日常の生活を選んだものが多く、たとえば『日本雑事詩』では、印紙新聞紙幼稚園など身近なものが取り上げられている。この『日本雑事詩』は総理衙門提出して同文館より刊行したものが最初刊本であるが、日本手軽に紹介する書として人気呼び以後中国および日本何度も出版された。こうした日常密着した作詩姿勢は、詩に口語積極的に導入しようという文学理論と密接に結びついている黄遵憲には眼前現実可能な限り忠実仔細に描写したいという写実的な欲求があったために、桐城派のような擬古的な表現方法には批判的であった厳復げんぷく)の『天演論』(てんえんろん)が社会進化論中国紹介したことを高く評価しながらも、その文体典雅さ格調の高さに拘泥するあまり難解すぎると批判したのは、そうした文学観に由来する新たな時代には新たな表現こそ必要不可欠考えたであって、「我が手もて吾が口を写せば、古も豈に能く拘牽(こうけん)せんや」(「雑感」の一節、拘牽は物事とらわれるの意)と述べ言文一致詩文求めた。それは後の文学革命先取りしたものに他ならない。なお、奇しくも黄遵憲来日していた時期二葉亭四迷の『浮き雲』が発表され時期重なる(黄の来日の方が数年早い)。 日常密着した詩は注目に値するが、題材の量からいって最も多いのは時事問題に関するのである上で触れた「逐客篇」はその代表例であるが、その他に日清戦争敗北心痛める「哀旅順」や 義和団時の七月二十一日外国聯軍入犯京師」等がある。これらの詩には黄遵憲批判精神遺憾なく発揮されており、時事への関心こそが創作原動力だったことが分かる黄遵憲の詩は、叙情詩よりも叙事詩優れと言われるが、その詩は単なる文学とどまらず当時生きた一士大夫が詩に託して心の内吐露したという点で貴重な歴史証言ともなっている。それ故黄遵憲の詩は「詩史」と評されている。以下はその例。

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