三宅克己とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 三宅克己の意味・解説 

みやけ‐こっき〔‐コクキ〕【三宅克己】

読み方:みやけこっき

[1874〜1954]洋画家徳島生まれ光風会結成参加早くから水彩画専念


三宅克己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 08:30 UTC 版)

三宅 克己(みやけ こっき、1874年明治7年〉1月8日 - 1954年昭和29年〉6月30日[1])は、明治から昭和初期に活動していた日本の洋画家

経歴

現在の徳島県徳島市に生まれる。6歳のころ、東京に転居。曾山幸彦原田直次郎に洋画を学ぶ。1891年に来日したイギリス人水彩画家ジョン・ヴァーレー・ジュニア(ジョン・ヴァーレーの孫)の作品に接し、水彩画を志す[2][1][3]。1897年に渡米し、イェール大学付属美術学校で学ぶ。1898年にイギリスに渡り、1899年帰国。同年の第4回白馬会展に出品し、白馬会会員となる。1912年に中沢弘光、山本森之助、杉浦非水、小林鐘吉、跡見泰岡野栄と共に光風会を設立。昭和初期には写真に関する著述多数。1951年に日本藝術院恩賜賞受賞[4]

島崎藤村とは明治学院の二年後輩で、藤村が英語・国語教師をしていた小諸義塾で藤村の赴任と相前後して美術講師と赴任している。

著作

  • 『水彩画の手引』
  • 『思い出づるまま 三宅克己自伝』[1]
  • 『欧州絵行脚』
  • 『欧州写真の旅』
  • 『趣味の写真術』

関連項目

脚注

  1. ^ a b 三宅克己 - kotobank
  2. ^ 三宅克己著,『思い出づるまま』
  3. ^ 箱根双子岳 - 三重県立美術館
  4. ^ 『朝日新聞』1951年4月1日(東京本社発行)朝刊、2頁。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三宅克己」の関連用語

三宅克己のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三宅克己のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三宅克己 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS