三保移住後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:26 UTC 版)
富士山や羽衣伝説を描きたいという思いから、1951年8月12日には静岡県清水市三保(現・静岡市)に移り住んだ。11月11日には上野養生軒で和田、中沢弘光、三宅克己の3人の喜寿祝賀会が開催され、大阪と名古屋で喜寿店が開催された。1953年には日本芸術院の第一部長に選ばれた。1955年には清水市庁舎の落成を記念して『真崎からの富士』を清水市に寄贈している。1958年には膀胱癌と診断されて東京厚生年金病院に入院。4月には退院したが、1959年1月3日に清水市三保宮方にて死去した。死後には正三位に昇叙され、勲一等瑞宝章大綬を受けた。1月10日には明治学院講堂で葬儀が行われ、3月10日には東京多摩霊園に埋葬された。
※この「三保移住後」の解説は、「和田英作」の解説の一部です。
「三保移住後」を含む「和田英作」の記事については、「和田英作」の概要を参照ください。
- 三保移住後のページへのリンク