豚松
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豚松(ぶたまつ)[1][2][3][4][5]、村上元三の小説『次郎長三国志』に三保の豚松(みほのぶたまつ)として登場[6]、清水次郎長配下の「清水二十八人衆」に数えられる三保の松五郎(みほのまつごろう、1840年前後 - 没年不詳)は、かつて実在した日本の侠客である[4][7]。本名・出生名等は伝えられていない[4]。実際に隻眼・隻腕であったのは豚松であり、講談・浪曲・映画等に描かれる森の石松の設定は、豚松からの流用であるとされる[4][5][8]。
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- ^ 日本映画情報システム検索結果、文化庁、2015年7月31日閲覧。
- ^ KINENOTE検索結果、キネマ旬報社、2015年7月31日閲覧。
- ^ 日本映画データベース検索結果、日本映画データベース、2015年7月31日閲覧。
- ^ フィルムリスト検索結果、デジタル・ミーム、2015年7月31日閲覧。
- 1 豚松とは
- 2 豚松の概要
- 3 フィルモグラフィ
- 4 脚注
三保の豚松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:40 UTC 版)
三保の猟師の息子。無鉄砲かつ無謀な性格のせいで敵一家との喧嘩に明け暮れるうち隻眼、隻腕になってしまった。多くの講談で語られる森の石松像は彼が元だと言われている。
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