宝塚映像
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 宝映・ヅカ映・宝塚映画 |
本社所在地 | 日本 〒665-0845 兵庫県宝塚市栄町2-10-14 宝塚新興産ビル4F |
設立 | 1983年(昭和58年)9月 前身は宝塚映画製作所で1951年8月設立 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | テレビCM、会社紹介、社員教育用等の映像製作・阪急梅田駅の映像大画面「ビッグマン」の保守・運営管理。 |
代表者 | 代表取締役社長 藤田美千雄(2005年現在) |
資本金 | 20,000万円 |
売上高 | 公表せず |
従業員数 | 25名 |
主要株主 | 阪急阪神ホールディングス 阪急電鉄 |
関係する人物 | 三浦紘(プロデューサー) |
特記事項:前身は宝塚映画製作所で1951年8月設立。 営業所所在地は大阪府大阪市北区角田町8-47 阪急グランドビル5F |
宝塚映像(たからづかえいぞう)は、兵庫県宝塚市にかつて存在した阪急阪神東宝グループの制作プロダクション。映画製作会社宝塚映画製作所(たからづかえいがせいさくしょ)が経営不振から解散した後、1983年9月に新たに設立された。
本稿では前身の宝塚映画製作所も記載する。
概要
兵庫県宝塚市に本社が在り、大阪梅田に営業所があった。通称「宝映」「ヅカ映」。労働組合を設けていた。製作したテレビドラマのロケーション撮影は主に宝塚市・西宮市・川西市と阪急沿線を中心に行われた事で知られていた。
主な番組
「阪急ドラマシリーズ」(1965年 - 1994年・関西テレビ)は、阪急電鉄・阪急百貨店・阪急不動産の提供で数々の作品を世に送り出し人気を博した。スポンサーの関係で、主に京阪神の観光地(特に阪急沿線)が舞台であったり、当時の現役タカラジェンヌ(宝塚歌劇団生徒)が主演級で登場したことも一つの特徴だった。
また、「ライオン奥様劇場」(フジテレビ系)の作品「ママは1年生」と「木曜ゴールデンドラマ」、「朝の連続ドラマ」(読売テレビ製作、日本テレビ系)、「月曜・女のサスペンス」(テレビ東京系)の各2本の作品も製作している。
CM
テレビCMでは三遊亭楽太郎(後の六代目三遊亭円楽)を起用した祐徳薬品工業の貼り薬「パスタイム」(「気持ちんよかー」のフレーズで有名)のCM製作と、親会社の阪急電鉄等のCM製作も手掛けている。
主な事項
スタジオの存続運動
宝塚映画時代の撮影所は、大部分が隣接する遊園地・宝塚ファミリーランドの遊技施設敷地となり、大スタジオも同遊園地のイベントホールとして賃貸された。このため、遊園地の一角にテレビスタジオが存在する形となったが、遊園地は2003年に閉鎖され、スタジオも同時に閉鎖された。そのスタジオの存続のために、親会社の阪急電鉄と宝塚映像の経営陣に対して、存続を求めて労働組合が署名運動等を繰り広げた。[1][2][3] [4]
阪神・淡路大震災以降
「阪急ドラマシリーズ」終了後、そのコンセプトを生かした旅番組「日だまり日曜日」をスタートしたが、1995年1月の阪神・淡路大震災で、社員は自宅待機を余儀なくされる。番組自体は続けられたが、その年の6月に終了した。事業は大幅に縮小し、番組製作部門は休止を余儀なくされた。
終焉
その後は阪急三番街の大型カラービジョン「ビッグマン」の運営・保守と主に阪急の系列の企業等の広報映像の作成・各企業の産業映像、人権・啓発を題材にした映画の製作等を行い、「阪急ドラマシリーズ」等を放送するファミリー劇場・各テレビ局等からの放映料による収入、同じ阪急阪神東宝グループの東宝と国際放映製作作品の製作協力等(ただし、テロップ表示なし)の地道な営業活動と経営を行っていたが、阪急阪神東宝グループ内での事業再編の余波もあってからか2013年2月28日をもって会社は解散となった。
製作した番組
ここでは前身の宝塚映画製作所時代の作品も記する。
ドラマ
- 製作経験なし
TBS系
- 月曜・女のサスペンス
- 六甲山殺人事件
- 宝塚殺人事件
情報番組
- 日だまり日曜日(関西テレビ)製作協力で参加。
CM
他
前身
宝塚映画
1938年8月に兵庫県宝塚市に開設された映画撮影所、および映画製作会社。宝塚歌劇団の付帯事業からスタート。宝塚運動場(宝塚球場)跡地の一角[5]にスタジオを建設して映画を製作した。1941年戦局の悪化で閉鎖。
宝塚映画製作所
再出発するために1951年に設立された映画製作会社[6]。阪急電鉄が全額を出資。撮影所跡を改修して事業を開始。1953年に全焼したため、1956年からに東洋一とされた最新設備の新撮影所がオープンした。当時の撮影所は500人以上のスタッフでにぎわい、時代劇や喜劇など年間20作品が作られたが、テレビの普及で映画産業は徐々に衰退していき、1968年に劇場用映画製作から撤退した。1978年には、テレビ映画の製作を主体に切り替えていた。劇場映画176作、テレビドラマ3200作を手掛け、東宝争議で製作力が低下した東宝系の一翼として、多くの劇場用映画を製作した。またかつては俳優も所属していた会社でもあった。
映画
テレビ作品
- 宝塚映像の作品を参照
所属していた俳優
関連書籍
- 高野昭二『わが青春の宝塚映画 宝塚映画製作所・宝塚映像株式会社作品譜』宝塚映画製作所 OB会有志、2010年11月1日
関連会社
- 宝塚クリエイティブアーツ(宝塚歌劇団公演の公式映像を収録・製作する会社。またTAKARAZUKA SKY STAGE<宝塚歌劇専門のスカパー!・ケーブルテレビ番組>の委託放送事業者でもある)
外部リンク
脚注
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ [4]
- ^ 宝塚ファミリーランド内という説もある。 ([5])
- ^ “戦後を彩った宝塚映画 /兵庫” (jp). Mainichi Daily News. (2020年10月19日) 2020年12月28日閲覧。
- ^ 宝塚映画製作所 製作作品一覧
宝塚映画製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:09 UTC 版)
再出発するために1951年に設立された映画製作会社。阪急電鉄が全額を出資。撮影所跡を改修して事業を開始。1953年に全焼したため、1956年からに東洋一とされた最新設備の新撮影所がオープンした。当時の撮影所は500人以上のスタッフでにぎわい、時代劇や喜劇など年間20作品が作られたが、テレビの普及で映画産業は徐々に衰退していき、1968年に劇場用映画製作から撤退した。1978年には、テレビ映画の製作を主体に切り替えていた。劇場映画176作、テレビドラマ3200作を手掛け、東宝争議で製作力が低下した東宝系の一翼として、多くの劇場用映画を製作した。またかつては俳優も所属していた会社でもあった。
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宝塚映画製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 01:55 UTC 版)
すべて製作は「宝塚映画製作所」、配給は「東宝」、特筆以外「田辺憲一」名義である。 『春秋鏡山城』 : 監督安達伸生、撮影藤井春美、1952年5月1日公開 - 照明 『娘十八お転婆時代』 : 監督倉谷勇、撮影藤井春美、1952年6月12日公開 - 照明 『昔話ホルモン物語』 : 監督内村祿哉、撮影藤井春美、1952年9月11日公開 - 照明 『千姫』 : 監督野淵昶、撮影藤井春美、1953年1月29日公開 - 照明 『天狗の源内』 : 監督倉谷勇、撮影藤井春美、1953年2月25日公開 - 照明 『悲剣乙女桜』(『悲剱乙女櫻』『悲剱乙女桜』) : 監督野淵昶、撮影藤井春美、1953年3月5日公開 - 照明 『トンチンカン 怪盗火の玉小僧』(『怪盗火の玉小僧』) : 監督斎藤寅次郎、撮影友成達雄、1953年4月1日公開 - 照明(「田辺憲三」名義) 『旅はそよ風』 : 監督稲垣浩、撮影藤井春美、1953年5月7日公開 - 照明 『トンチンカン八犬伝』(『トンチンカン八犬傳』) : 監督並木鏡太郎、撮影藤井春美、1953年6月17日公開 - 照明 『かっぱ六銃士』 : 監督斎藤寅次郎、撮影友成達雄、1953年8月26日公開 - 照明 『喧嘩駕籠』(『喧嘩駕篭』) : 監督冬島泰三、撮影藤井春美、1953年10月2日公開 - 照明 『鞍馬天狗斬り込む』(『鞍馬天狗斬込む』) : 監督安達伸生、撮影武田千吉郎、1953年12月29日公開 - 照明 『今宵ひと夜を』 : 監督千葉泰樹、撮影遠藤精一、1954年2月3日公開 - 照明 『右門捕物帖 妖鬼屋敷』 : 監督毛利正樹、撮影藤井春美、1954年3月24日公開 - 照明 『風流あじろ笠』 : 監督丸根賛太郎、撮影藤井春美、1954年5月26日公開 - 照明 『家庭の事情 おこんばんわの巻』 : 監督小田基義、撮影藤井春美、1954年6月30日公開 - 照明 『家庭の事情 ネチョリンコンの巻』 : 監督小田基義、撮影藤井春美、1954年7月28日公開 - 照明 『右門捕物帖 まぼろし変化』 : 監督丸根賛太郎、撮影藤井春美、1954年9月6日公開 - 照明 『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、撮影栗林実、1954年10月6日公開 - 照明 『快傑鷹 第二篇 奔流怒濤の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、撮影栗林実、1954年10月13日公開 - 照明 『快傑鷹 第三篇 剣風乱舞の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、撮影栗林実、1954年10月27日公開 - 照明 『照る日くもる日 前篇』 : 監督志村敏夫、撮影栗林実、1954年12月8日公開 - 照明 『照る日くもる日 後篇』 : 監督志村敏夫、撮影栗林実、1954年12月15日公開 - 照明 『旗本退屈男 謎の怪人屋敷』 : 監督渡辺邦男、撮影渡辺孝、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年12月28日公開 - 照明(「田辺憲次」名義) 『岩見重太郎 決戦天の橋立』(『岩見重太郎 決戦天の橋立て』) : 監督渡辺邦男、撮影渡辺孝、1954年12月29日公開 - 照明 『旗本やくざ』 : 監督志村敏夫、撮影栗林実、1955年5月13日公開 - 照明 『海の小扇太』 : 監督志村敏夫、撮影栗林実、1955年6月29日公開 - 照明
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宝塚映画製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 07:56 UTC 版)
特筆以外すべて製作は「宝塚映画製作所」、配給は「東宝」である。 『暖風』 : 監督内村祿哉、1953年1月29日公開 『天狗の源内』 : 監督倉谷勇、1953年2月25日公開 - 里見金吾 『悲剣乙女桜』 : 監督野淵昶、1953年3月5日公開 - 田丸屋九左衛門 『トンチンカン 怪盗火の玉小僧』 : 監督斎藤寅次郎、1953年4月1日公開 - 源作 『旅はそよ風』 : 監督稲垣浩、1953年5月7日公開 - いかさまの吉 『トンチンカン八犬伝』(『トンチンカン八犬傳』) : 監督並木鏡太郎、1953年6月17日公開 - 志津三郎 『かっぱ六銃士』 : 監督斎藤寅次郎、1953年8月26日公開 『鉄腕涙あり』 : 監督滝沢英輔、1953年10月27日公開 『鞍馬天狗斬り込む』 : 監督安達伸生、1953年12月29日公開 - 大助 『今宵ひと夜を』 : 監督千葉泰樹、1954年2月3日公開 - 網元 『右門捕物帖 妖気屋敷』(『右門捕物帖 妖鬼屋敷』) : 監督毛利正樹、1954年3月24日公開 - 目明し 『風流あじろ笠』 : 監督丸根賛太郎、1954年5月26日公開 - 七造 『鞍馬天狗 疾風八百八町』 : 監督志村敏夫、1954年7月21日公開 - 伝内の輩下 『怪傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、1954年10月6日公開 - 又八 『怪傑鷹 第二篇 奔流怒濤の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、1954年10月13日公開 - 又八 『怪傑鷹 第三篇 剣風乱舞の巻』 : 監督ロクヘイ・ススキタ、1954年10月27日公開 - 又八 『仇討珍剣法』 : 監督斎藤寅次郎、1954年10月27日公開 『照る日くもる日 前篇』 : 監督志村敏夫、1954年12月8日公開 - 同心 『岩見重太郎 決戦天の橋立』 : 監督渡辺邦男、1954年12月29日公開 - 伊藤の門弟 『海の小扇太』 : 監督志村敏夫、1955年6月29日公開 - 奴隷 『箱入娘と番頭』 : 監督青柳信雄、1956年7月26日公開 - てんぷらやの客A 『太夫さんより 女体は哀しく』 : 監督稲垣浩、1957年10月1日公開 - 現存(NFC所蔵) 『別れの波止場』 : 監督山崎裕理、1958年2月26日公開 - のみ屋の客 『野良猫』 : 監督木村恵吾、1958年11月18日公開 - おでん屋の爺
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宝塚映画製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 07:48 UTC 版)
特筆以外すべて製作は「宝塚映画製作所」、配給は「東宝」である。すべて「椿三四郎」名義である。 『海の小扇太』 : 監督志村敏夫、1955年6月29日公開 - 金三郎の家臣 『疾風の晴太郎』 : 監督佐藤幸也、1955年7月12日公開 - 小松屋の乾分権三 『右門捕物帖 恐怖の十三夜』 : 監督志村敏夫、1955年10月12日公開 『新諸国物語 オテナの塔 前篇』 : 監督稲垣浩、1955年12月28日公開 『新諸国物語 オテナの塔 後篇』 : 監督稲垣浩、1956年1月8日公開 『白井権八』 : 監督安田公義、1956年2月12日公開
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宝塚映画製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:33 UTC 版)
特筆以外すべて製作は「宝塚映画製作所」、配給は「東宝」である。当時の本郷の所属は第一協団である。 『遠山金さん捕物控 影に居た男』 : 監督マキノ雅弘、1956年9月5日公開 - 人形師銀山 『浮気旅行』 : 監督杉江敏男、製作東京映画、1956年10月9日公開 『アチャコ行状記 親馬鹿天国』 : 監督青柳信雄、1956年11月7日公開 『世にも面白い男の一生 桂春団治』 : 監督木村恵吾、1956年11月27日公開 - 桂小春団治(噺家)、108分尺で現存(NFC所蔵) 『男の花道』 : 監督冬島泰三、1956年12月5日公開 - 馬場宗庵 『おしどりの間』 : 監督木村恵吾、製作東京映画、1956年12月19日公開 - 蝶子の連れの男 『アチャコ行状記 嫁取り試験』 : 監督青柳信雄、1956年12月19日公開 『おしゃべり社長』 : 監督青柳信雄、製作東京映画、1957年1月3日公開 - 木村(輸出課長) 『姫君剣法 謎の紫頭巾』 : 監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1957年2月12日公開 - いたちの仙太 『次郎長意外伝 大暴れ三太郎笠』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1957年2月26日公開 - 追分の三五郎 『次郎長意外伝 灰神楽の三太郎』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1957年2月26日公開 - 追分の三五郎 『浪人街』 : 監督マキノ雅弘、製作京都映画、配給松竹、1957年4月3日公開 - 岡つ引佐吉、110分尺で現存(NFC所蔵) 『続・サザエさん』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1957年4月9日公開 - 横向さん 『激怒する牡牛』 : 監督古賀聖人・吉村廉、製作新理研、配給新東宝、1957年5月8日公開 - 寅 『へそくり親爺』 : 監督山崎裕理、1957年6月12日公開 - 滝山福次郎 『謎の紫頭巾 姫君花吹雪』 : 監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1957年6月19日公開 - いたちの仙太 『淑女夜河を渡る』 : 監督内川清一郎、製作すがを集団、配給松竹、1957年8月4日公開 - 斎藤五郎 『その夜のひめごと』 : 監督木村恵吾、製作東京映画、1957年9月1日公開 - 望月 『一本刀土俵入』 : 監督マキノ雅弘、製作・配給東宝、1957年10月13日公開 - 料理人 『花嫁は待っている』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1957年10月20日公開 - 野村営業部次長 『次郎長意外伝 大暴れ次郎長一家』 : 監督日高繁明、製作・配給東宝、1957年12月22日公開 - 追分三五郎 『サザエさんの青春』 : 監督青柳信雄、製作・配給東宝、1957年12月28日公開 - 建てかけの家の夫 『口から出まかせ』 : 監督内川清一郎、1958年1月29日公開 - 新聞記者A(山田)
※この「宝塚映画製作所」の解説は、「本郷秀雄」の解説の一部です。
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