宝塚市長時代
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宝塚市長に就任した直後、税金や水道などの公共料金等計178万円を滞納していたことが発覚した。本人は衆議院選挙で落選し、収入がなかったと釈明する。この件で宝塚市役所には、住民からの苦情が500件以上寄せられた。 2007年3月には、4月8日投開票の兵庫県議会議員選挙に宝塚市選挙区(定数3)から立候補予定の二男(後の笑福亭呂好)を応援するよう求める内容の文書を支持者らに配っていたことが明らかになり、事前運動を禁じた公職選挙法違反にあたる可能性を市選管から指摘される。選挙において二男は4位で次点となり、落選した。同じく2007年3月に自らが入信する宗教団体の行事に参加するため公用車を手配したのは、違法な公金の支出に当たるとして、宝塚市議がガソリン代や運転手の人件費など合計で8200円を市に返還するよう求める住民監査請求が出され、受理される。 2007年6月に、支部長を務めていた旧自民党兵庫県衆議院比例区第一支部の2005年の政治資金収支報告書で、政治活動に伴う支出がないにもかかわらず、人件費のみ約840万円を計上していたことが発覚した。政治活動の支出がないのに人件費だけ計上しているのは不自然、残金の帳尻合わせともとられかねない不自然な会計処理などと指摘されている。
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