関東綱五郎
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関東綱五郎(かんとうつなごろう、1822年 - 1886年11月)は、日本の侠客である[1][2][3][4][5]。村上元三の小説『次郎長三国志』に同名で登場[1][2]、清水次郎長配下の「清水二十八人衆」に数えられる大瀬の半五郎(おおせのはんごろう)[6]と同一人物であるとされる[4][7][8][9]。本名は鈴木 綱五郎(すずき つなごろう)、出生名は鈴木 綱之助(すずき つなのすけ)[3][4]。関東の綱五郎(かんとうのつなごろう)とも。
- ^ a b c 村上[1953], p.37-60.
- ^ a b c 次郎長三国志+村上元三、国立国会図書館、2015年8月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 関東綱五郎墓之跡、持田ツネ・鈴木幸雄・持田治郎、1977年7月13日付、2015年8月5日閲覧。
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- ^ [1]、ウィキメディア・コモンズ、2015年8月5日閲覧。
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- ^ a b c 足立[1967], p.209.
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- ^ 次郎長三国志 第一部 次郎長売出す - KINENOTE, 2015年8月5日閲覧。
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- ^ 森の石松はどのように創られたか、田村貞雄、『次郎長』第27号、次郎長翁を知る会、2015年8月5日閲覧。
- ^ 笹川[1936], p.236, 262.
- ^ a b 所蔵映画フィルム検索システム検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年8月5日閲覧。
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- ^ KINENOTE検索結果、キネマ旬報社、2015年8月5日閲覧。
- ^ 日本映画データベース検索結果、日本映画データベース、2015年8月5日閲覧。
- ^ 日活作品データベース検索結果、日活、2015年8月5日閲覧。
- ^ フィルムリスト検索結果、デジタル・ミーム、2015年8月5日閲覧。
- 1 関東綱五郎とは
- 2 関東綱五郎の概要
- 3 フィクションの人物像
- 4 フィルモグラフィ
- 5 脚注
- 大瀬半五郎のページへのリンク