日光脇往還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 08:33 UTC 版)
日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代に八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県鴻巣市)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林・佐野・栃木・今市と経て日光街道に合流する、1652年(承応元年)に往還に定められた街道である[1]。またの名は「日光裏街道」。
- ^ 埼玉県坂戸市にある「旧日光街道の碑」の案内文に「承応元年(1652年)に日光脇往還に定められ」と書かれている
- 1 日光脇往還とは
- 2 日光脇往還の概要
- 3 宿場
- 4 脚注
日光脇往還と同じ種類の言葉
脇往還に関連する言葉 | 脇往還(わきおうかん) 日光脇往還 |
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