房川渡中田関所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 11:24 UTC 版)
房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかたせきしょ)は、江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川筋(現大落古利根川)に設置された関所の一つである。奥州街道・日光街道の栗橋宿から中田宿の間、利根川筋古利根川沿いにあった。房川渡中田関所名の由来は、房川渡と中田宿の間にあったためと言われていたという[2]。通称栗橋関所であった[3]。
- ^ 御関所日記写 文久元年五月~同元年十二月『足立家文書』に拠る(石岡(2002)、116頁。)。
- ^ 「御関所御用諸記」天明元年四月~同八年八月、『足立家文書』に拠る(石岡(2002)、116頁。)。
- ^ 御関所御用諸記八 文政13年4月~天保3年閏三月、『足立家文書』に拠る(石岡(2002)、116頁。)。
- ^ 小手指・前林・釈迦を経由し赤堀川開削以前の微高地を北上した。
- ^ 入用金により江戸で仕立てたもの(石岡(2002)115頁。)
- ^ 茶船は川辺領中里村(現久喜市栗橋町)・幸手領八甫村(現鷲宮町)の田地作徳金により、栗橋町名主が新造・修復したもの(石岡(2002)115頁。)
- ^ 古河藩主が仕立てた茶船であった(石岡(2002)115頁。)
- ^ 御関所御用諸記拾 天保七年十月~同十二年十二月『足立家文書』に拠る。(石岡(2002)、115頁。)。
- ^ 『日光社参房川渡船橋之絵図』は、平成13年2月22日、埼玉県加須市有形文化財(歴史資料)に指定された(“大利根地域指定文化財一覧”. 加須市. 加須市役所 (2016年6月9日). 2017年1月27日閲覧。)。
- ^ 天保13年(1842年)将軍の日光社参の際に架橋された船橋の瓦版(絵図)が埼玉県立図書館に所蔵されている。(“日光山御社参之節房川渡シ御船橋絵図”. 埼玉県立図書館. 埼玉県 (2016年4月21日). 2017年1月27日閲覧。)
- ^ 大日本地誌大系刊行会 編[他](1914-1917年)、277頁。
- ^ 大島(1995)、165-166頁。
- ^ 大島(1995)、166頁。
- ^ 加藤(1996)26・27頁。
- ^ a b c 大島(1938)a、381頁。
- ^ a b c 大島(1938)a、382頁。
- ^ a b c d e 大島(1995)、167頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿栗橋宿.
- ^ 有限会社平凡社地方資料センター編(1993)、1064頁。
- ^ 大島(1995)、168頁。
- ^ a b c 石岡(2002)、117頁。
- ^ 大島(1938)a、383頁。
- ^ a b c 石岡(2002)、116頁。
- ^ a b c 本間(1988)、641頁。
- ^ 大島(1991)67-68頁
- ^ 本間(1988)、599頁。
- ^ a b 石岡(2002)、115頁。
- ^ “日光社参房川渡船橋之絵図”. 加須市. 加須市役所 (2013年4月16日). 2017年1月27日閲覧。
- ^ 原図は渡辺(1991)『近世交通制度の研究』、514頁による。
- ^ 大島(1938)b、461頁。
- ^ 金井(2000)、59・60頁
- ^ a b c 本間(1988)、637頁
- ^ 『御触書覚保集成』に拠る。(本間(1988)636-637頁)
- ^ a b 栗橋町、『足立正路家文書』に拠る。
- ^ 金井a(2000)、60-62頁。
- ^ 金井a(2000)、69-72頁。
- ^ 金井a(2000)、81頁。
- ^ 金井b(2000)、102頁。
- ^ 加藤(1996)27・28頁。
- ^ 加藤(1996)、26頁。
- ^ 加藤(1996)27頁。
- ^ 小林・苦瀬・橋本(1999)、127・128頁。
- 1 房川渡中田関所とは
- 2 房川渡中田関所の概要
- 3 房川渡中田関所における改め
- 4 栗橋河岸
房川渡中田関所(栗橋関所)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 03:04 UTC 版)
「栗橋宿」の記事における「房川渡中田関所(栗橋関所)」の解説
詳細は「房川渡中田関所」を参照 房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかたせきしょ)とは、江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川渡河地点に置かれた関所で、江戸への出入りを監視する関所が置かれ、江戸の北方を守る要地であった。利根川筋に設置された関所の一つである。奥州街道・日光街道の栗橋宿から中田宿の間、利根川沿いにあった。房川渡中田関所名の由来は、房川渡と中田宿の間にあったためと言われていう。通称栗橋関所であった。日光街道から江戸への出入りを監視する関所が置かれ、関宿と並ぶ江戸の北方を守る要地であった。
※この「房川渡中田関所(栗橋関所)」の解説は、「栗橋宿」の解説の一部です。
「房川渡中田関所(栗橋関所)」を含む「栗橋宿」の記事については、「栗橋宿」の概要を参照ください。
房川渡中田関所(栗橋関所)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 22:28 UTC 版)
「中田宿」の記事における「房川渡中田関所(栗橋関所)」の解説
詳細は「房川渡中田関所」を参照 房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかたせきしょ)は、江戸時代に奥州街道・日光街道の利根川筋(現大落古利根川)に設置された関所の一つである。奥州街道・日光街道の栗橋宿から中田宿の間、利根川筋古利根川沿いにあった。房川渡中田関所名の由来は、房川渡と中田宿の間にあったためと言われている。通称栗橋関所であった。日光街道から江戸への出入りを監視する関所が置かれ、関宿と並ぶ江戸の北方を守る要地であった。
※この「房川渡中田関所(栗橋関所)」の解説は、「中田宿」の解説の一部です。
「房川渡中田関所(栗橋関所)」を含む「中田宿」の記事については、「中田宿」の概要を参照ください。
- 房川渡中田関所のページへのリンク