房川渡中田関所の設置
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「房川渡中田関所」の記事における「房川渡中田関所の設置」の解説
房川渡中田関所の設置時期は明らかではないが、「『寛政重修諸家譜』には、天正18年(1590年)伊奈忠治が房川などの関を守るとあり、また、元和2年(1616年)の関東十六定船場設定の際、房川渡とともに栗橋が指定されている(御触書覚保集成)。中田栗橋関所覚書(宝暦9年から天明8年まで、足立家文書)に「寛永元甲子年御関所相初」とあり、『(新編武蔵)風土記稿』に番所番人の四人は寛永元年(1624年)に置かれた」とあり、寛永元年(1624年)には、房川渡中田関所が創設されていた。関所の初代守護は、関東代官の伊奈氏であった。伊奈忠治が四人の関所番を抱え入れた時期(寛永元年)を関所の設置時期とされている 当初、関所は中田宿側に関所が置かれていたが、対岸の栗橋宿側に移された。栗橋宿の北、渡船場前に設置され、対岸に中田宿があった。正式名称は房川渡中田御関所であったが、「栗橋関所」を通称とした。
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