足立家
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足立信頭が寛政の改暦(寛政暦)のために高橋至時の助手となり、天保6年(1835年)天文方に任じられた。幕末まで2代にわたり天文方を務めた。
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足立家
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(鳥取県境港市(旧境町)朝日町、東京都港区) 家系 足立氏の出身。家業は酒造りで、江戸時代には大庄屋を務め、苗字帯刀を許された豪家だった 足立正の『私の履歴書』によると、「家業は酒造りであったが、かなりの田畑をもっていて耕作は小作人にまかせていた。代々大庄屋をつとめていたので、平民ではあったが、名字帯刀を許された郷士の家柄であった。そんなだから家には武芸をとうとぶ気風がのこっていて、祖父の徹造は馬術の達人であった。なんでも鳥取藩つきの高名な先生について腕をみがいたということで、家にはつねに駿馬(しゅんめ)が二頭飼ってあった。その影響をうけて父も馬術が上手だったが、むしろ父は剣道の腕のほうがたしかだったようだ。 一方、母の実家は医者であるが、その父という人はそうとう気骨のある人だったらしく、勤皇の志士に加わって倒幕に活躍し、ついに京都でたおれている。こうした血すじのせいか私は生まれつき大変なやんちゃだったらしい。そこえもってきて子供のころから武芸の修業ときている。小学校二年のときにはすでに父から直接、剣道の手ほどきをうけた。」という。 二男龍雄は王子製紙に入り、戦後の分割後に本州製紙の取締役、常任監査役を務めた後1975年から中村屋の社長、1984年に会長になり取締役相談役。 評価 鈴木幸夫の著書『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』(1965年)119頁によると、「足立はいまTBSの会長で肩書きはよいが、企業的にはビッグビジネスの経営者ではない。しかしかれが王子製紙の創始者藤原銀次郎を助け、王子製紙発展の推進者であったことは周知の話だ。足立の生家のとなりが、藤原銀次郎の夫人の実家で、となり同士の交際が藤原と足立を結びつけるテコになった。さてかれの妻靖子は元古河鉱業取締役飯島純介の娘で…(中略)… そして次女の夫山崎英吉の父が法学博士山崎覚次郎。三女の夫吉家光夫の父が元鴨川化工会長吉家敬三である。ほかに姻戚には元拓銀副頭取塩川三四郎、元海軍大将山梨勝之進、元男爵、元式部次長武井守成)、元三菱本社専務船田一雄らがいる。…(中略)…足立はいまや財界世話役の巨頭として、もっぱら名を売っているが、財界の親台湾ロビーの有力者として、対国府親善のためには、意欲的に動いている」という。 祖父 - 徹造 父 - 繁太郎(境郵便局長、境町会議員) 母 - さと(鳥取県・永見誠斎の二女) 妻 - こを(鳥取県・回船問屋、海運業者栢木節蔵の二女)、靖子(元古河鉱業取締役飯島純介の娘) 長男 - 勲 二男 - 龍雄(実業家・中村屋会長)同妻 - 泰子(元海軍大将山梨勝之進の二女) 長女 - 妙子(元芸備銀行(現在の広島銀行)頭取塩川三四郎の長男塩川三千勝の妻) 二女 - 富美子(法学博士山崎覚次郎の四男山崎英吉の妻) 三男 - 仁三(実業家・コープケミカル(代表)会長)同妻 - 直子(元男爵武井守成の二女、元姫路藩士で、貴族院勅選議員や枢密顧問官に任じられた武井守正の孫娘) 三女 - 道子(元鴨川化工会長吉家敬三の長男吉家光夫の妻) 四女 - 喜美子(船田昌一の妻) 四男 - 壽惠雄(実業家・丸紅顧問) 孫正晃(妻・久美子は第55代内閣総理大臣石橋湛山の孫娘) 啓子(伊藤忠財閥二代目当主伊藤忠兵衛(2代)の孫伊藤勲の妻)
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