足立区長
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1996年、無所属(日本共産党・新社会党推薦)で足立区長選挙に出馬。保守陣営の分裂による複数候補の擁立や、旧足立区役所跡地の再開発をめぐり区民から保守派への反発が強まっていたため、区政批判に乗る形で初当選を果たした。吉田は足立区長就任後、公約の通り旧区役所跡地に建設が予定されていた大型ホテル(東急ホテル)の計画を中止させ、高齢者福祉の拡充をめざした。しかし足立区議会の与党は日本共産党のみ(新社会党は足立区議会に議席を有さなかった)であったため、3年間の足立区長在任中は終始苦しい議会運営を迫られた。 1999年、統一地方選挙を間近に控え、足立区議会が吉田の不信任決議案を提出し、賛成多数で可決した。このため吉田は区議会を解散したが、区議選を経ても少数与党の情勢は変わらず、区長を失職した。出直し選挙に再度、日本共産党・新社会党の推薦を受けて出馬したが、自民・民主・公明・自由4党が推薦する元助役の鈴木恒年に敗れた。2003年の足立区長選挙にも出馬したが、鈴木恒年に再度敗れている。
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