横浜から富津間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 23:25 UTC 版)
江戸時代の横浜から八王子間は、神奈川宿から八王子を経て甲州街道へと通じる主要な街道で(「神奈川往還」「町田街道」参照)、年貢の輸送や村の産物を運び交換するなど、生活上必要な道であった。元禄・享保期の頃から街道として使用されていた。また、江戸時代から明治の頃は、津久井の生糸、絹織物を買い付けに往来する外国商人の姿も多かったという。 また、八王子から入間の間は、日光脇往還と呼ばれ、現在は入間で分岐する国道407号などを通して八王子から東照宮のある日光へ向かう街道として賑わいを見せたことから、沿道は宿場町として発展した。 1953年(昭和28年)5月18日の新道路法に基づく二級国道の路線指定で、横浜市から千葉市間が「二級国道129号東京環状線」に、千葉市から木更津市間は「二級国道127号館山千葉線」の一部として国道に指定される。
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