横浜での宣教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 16:59 UTC 版)
「ジェルマン・レジェ・テストウィード」の記事における「横浜での宣教」の解説
司祭叙階直後の1873年(明治6年)7月2日に日本へ向けて出発。同年12月に横浜に到着した。来日当初は横須賀海軍工廠に雇われていたフランス人技師の教会である聖ルイ教会を司牧していた。 パリ外国宣教会では1859年(安政6年)の横浜開港時に日本再宣教のため、ジラール神父らを日本に送っている。1862年には近代日本で初の教会となる横浜天主堂(カトリック山手教会初代聖堂)が、横浜・山手の横浜居留地80番地(現:横浜市中区山下町80)で献堂された。1864年に長崎で献堂された大浦天主堂では、翌1865年に同じパリ外国宣教会のプティジャン神父が隠れキリシタンを発見している。テストウィード神父もそうした時代に活躍した宣教師の一人であった。 テストウィード神父は、一時は横浜天主堂にて教会会計を兼務し、同教会を根拠地として1875年(明治8年)より東京近郊の武蔵野方面(八王子、砂川地区)で宣教活動を行い、翌1876年(明治9年)には北緯代牧区巡回宣教師となる。
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