横浜からサイパン・グアムまでとは? わかりやすく解説

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横浜からサイパン・グアムまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:47 UTC 版)

第3503船団」の記事における「横浜からサイパン・グアムまで」の解説

5月3日横浜沖に集結した本船団は、訓練行いながら館山湾へと移動した。翌4日館山船団出撃した。4日から5日までは、水雷艇掃海艇各1隻が護衛追加されている。船団潜水艦警戒し、しばしば敵襲誤報により戦闘態勢取りながら航行した5月10日船団サイパン北西444km付近アメリカ潜水艦タンバー」に発見され海軍運送船「慶洋丸」(東洋汽船:6441総トン)が魚雷1発を見舞われた。「慶洋丸」は沈没免れて8ノット速力航行続けられたが、死者行方不明者97人を出した護衛部隊は爆雷投下して反撃移り、第24海防艦が敵潜水艦撃沈確実を報じたが、「タンバー」は沈んではいなかった。もっとも、駆逐艦水無月」と水雷艇」が現場残ってしばらく制圧続けたため、「タンバー」は追撃ができなかった。 サイパン入港予定前日5月12日船団は、サイパン敵機部隊襲来のおそれとの情報受けて一時退避したが、間もなく安全と判明したため航路復帰した14日グアム行きの2隻を護衛水雷艇」・海防艦隠岐」・特設駆潜艇「第8昭南丸」とともにテニアン島沖で分離し船団本隊同日中にサイパンへと入港した第3503船団としての運航サイパンまでのため、船団主力は、荷揚げ後に東松7号復航船団合同で第4517船団組んで日本へと帰ることになったグアム行き船団は、分離した14日午後にグアム北西17kmに差し掛かったところで、アメリカ潜水艦サンドランス」の攻撃受けてしまった。貨物船黄浦丸」(東亜海運:4291総トン)が魚雷を受け、沈没した。「」と「隠岐」は、航空機掃討出動してきた海防艦能美」及び駆潜艇1隻と協同爆雷攻撃行い重油海面流出から敵潜水艦1隻撃沈おおむね確実と報じたが、実際には「サンドランス」に逃げられていた。

※この「横浜からサイパン・グアムまで」の解説は、「第3503船団」の解説の一部です。
「横浜からサイパン・グアムまで」を含む「第3503船団」の記事については、「第3503船団」の概要を参照ください。

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