横浜F・マリノス監督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:40 UTC 版)
2003年、横浜F・マリノス監督に就任。充実した戦力を率いた1年目の1stステージからいきなり優勝を飾り、その余勢を駆って2ndステージも優勝。就任1年目にして完全優勝の栄冠を手にした。2004年も1stステージを制し、Jリーグ史上初の3ステージ連覇の偉業を成し遂げる。浦和レッズと争ったサントリーチャンピオンシップでは2試合の通算得点が同点となり、延長戦を経て迎えたPK戦を制して、2年連続の年間王者に輝く。 2005年も優勝候補の一角に挙げられていたが、AFCチャンピオンズリーグやA3チャンピオンズカップとの過密日程、また代表戦における主力の離脱により順位は低迷。結局、9位という期待外れの成績に終わる。成績低迷の責任を取り監督を辞任するとの観測も流れる中、2006年以降も横浜FMで監督を続投することが公式に発表された。 復活を期して臨んだ2006年は開幕4連勝を飾ったものの、その後急激にチームコンディションが悪化。再浮上の切っ掛けが掴めないまま18節終了時点で自力優勝が消滅し、19節の大宮戦終了後に辞意を表明。翌8月24日に辞任し、3年半に渡った横浜での指揮にピリオドを打った。表面上は家族を亡くしたこと、および成績不振によるものとされているが、真の理由は強化方針を巡るフロントとの確執にあるとも言われている。岡田は後に「俺は自分の指導者としての限界を感じていたのではないか」と語っている。
※この「横浜F・マリノス監督」の解説は、「岡田武史」の解説の一部です。
「横浜F・マリノス監督」を含む「岡田武史」の記事については、「岡田武史」の概要を参照ください。
- 横浜F・マリノス監督のページへのリンク