渡欧から黒田清輝死去まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 20:28 UTC 版)
1920年(大正9年)4月よりインド洋を経由する船旅でヨーロッパへの制作旅行に出発、途中カイロ、マルセイユ、パリ、ノルマンディー、イギリスを巡遊し、また途中9月から10月にかけては三宅克己とベルギー、オランダ、ドイツなどを巡った。1921年(大正10年)2月からパリに居住、フランス各地で制作旅行を継続し同年7月に帰国した。 このヨーロッパ旅行中は新たな画法に挑戦した。また帰国年の10月より雑誌『中央美術』に滞欧中に記していた日記の一部を掲載したところ評判を呼び、永は翌1922年(大正11年)2月に再び雑誌『中央美術』に「倉敷の名画を見る」を寄稿している。 ヨーロッパ滞在中に制作した作品群は東京と大阪の三越にて個展を開催し展示した。 1923年(大正12年)7月には加藤静児と共に三重県志摩郡波切村に赴き制作を行った。 1924年(大正13年)1月に母を、同年7月に師黒田清輝を失う。
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