渡来系の上毛野氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 03:30 UTC 版)
渡来系の上毛野氏は、豊城入彦命(第10代崇神天皇皇子)五世孫の竹葉瀬(たかはせ)を祖と称する皇別氏族。「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称した。 出自 『新撰姓氏録』の上毛野朝臣(皇別 左京)条には「豊城入彦命五世孫の多奇波世君の後」と記すとともに「天平勝宝2年(750年)に田辺史から上毛野公と改姓した」と注記されている。この多奇波世君(たかはせのきみ:竹葉瀬に同じ)の後裔と記される氏族は他にも住吉朝臣・池原朝臣・桑原公・川合公・商長首があり、これらの氏族は渡来系のグループと解されている。 『日本書紀弘仁私記』序に載る弘仁年間流布した民間の氏族書『諸藩雑姓記』に田辺史、上毛野公らが載っていることに対して、『日本書紀弘仁私記』序では「己等祖是貴国将軍上野公竹合也」と載せ、祖が日本人であり『諸藩雑姓記』に載せて諸蕃とすることは誤りとする注を付し、祖が日本人であることを根拠とした百済に帰化した日系人(百済帰化の日系氏族帰国者)という考え方を示している。 歴史 前述のように天平勝宝2年(750年)に「上毛野君」を賜姓され、弘仁元年(810年)に「上毛野朝臣」を賜姓された。以降は朝廷の要職に就き、東国系氏族に代わり上毛野氏の中核をなした。
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