皇別
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皇別(こうべつ)とは、日本の皇室から、神武天皇以降に臣籍降下した分流・庶流の氏族を分類した用語[1][2]。弘仁6年(815年)に朝廷が編纂した古代氏族の系譜集『新撰姓氏録』で、天津神・国津神の子孫を指す神別、中国大陸や朝鮮半島から渡来した人々の子孫を指す諸蕃とともに用いられた。また皇別の分類は明治時代の華族の宗族制度でも用いられた[3]。
- ^ a b 佐藤良雄 1994, p. 36.
- ^ 佐伯有清 日本大百科全書『皇別』 - コトバンク
- ^ 上野秀治 2001, p. 37-38.
- ^ 菅澤庸子 2001, p. 214.
- ^ 篠川賢 2007, p. 50-51.
- ^ a b 菅澤庸子 2001, p. 211.
- ^ 菅澤庸子 2001, p. 216.
- ^ 倉本一宏 2019, p. 12-13.
- ^ 中村みどり 2015, p. 61.
- ^ 倉本一宏 2019, p. 15.
- ^ 倉本一宏 2019, p. 124-132.
- ^ 笠谷和比古 (1997). “徳川家康の源氏改姓問題”. 日本研究 (国際日本文化研究センター) (16): 33-48. NAID 40004808755.
- ^ a b 岩波祐子 2019, p. 162.
- ^ 鷹司、一条、近衛はいずれも四十二類、藤原忠通裔として記載されており、鷹司輔平の孫を養子を迎えた清華家の徳大寺家は徳大寺実能裔、更に徳大寺家から養子を迎えた西園寺家は藤原通季裔として扱われており、他の藤原氏同様、神別に分類されている。
- ^ 宇和島藩伊達氏から養子に入った真田幸民など
- ^ 岩波祐子 2019, p. 162-163.
皇別氏族(武内宿禰裔)
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「波多氏 (古代)」の記事における「皇別氏族(武内宿禰裔)」の解説
武内宿禰の長男である波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)を祖とする。姓は臣のち朝臣。 八多(八多朝臣)、八太(八太臣)、羽田(羽田臣・羽田朝臣)とも表記される。大和国高市郡波多郷の地名に由来し、高市郡にあった延喜式内社の波多神社を氏神とした。
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皇別氏族(息長氏族)
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「波多氏 (古代)」の記事における「皇別氏族(息長氏族)」の解説
応神天皇の孫である意富富杼王を祖とする。姓は君のち真人。八多(八多真人)、羽田(羽田公・羽田真人)とも表記される。近江国栗太郡羽田(現在の滋賀県八日市市羽田)の地名に由来するが、のち推古天皇の時、羽田姓に改めた。壬申の乱の功臣に羽田矢国・大人父子がおり、天武天皇13年(684年)で真人姓(羽田真人)を賜与された。そのほか、余射(山陰道を巡視、式部員外少輔)、継手などがいる。
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皇別氏族(日本武尊裔)
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「波多氏 (古代)」の記事における「皇別氏族(日本武尊裔)」の解説
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