波多氏 (古代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 17:41 UTC 版)
- ^ 『日本書紀』推古天皇20年(612年)5月5日条に“薬猟(くすりがり)をして後、羽田に集い、引き続いて朝廷に赴いた”という記述がある。この時の羽田を『和名類聚抄』では大和国高市郡波多郷としている。また『大同類聚方』には高市郡の波多神社に新羅伝来の「志路木藥」が伝わるとある。
- ^ a b 『和名類聚抄』
- ^ 『出雲国風土記』
- ^ 古事記では、建内宿禰(たけしのうちのすくね)
- ^ 『古事記』では波多八代宿禰とするが『日本書紀』では羽田が編者の一人となったため波多を羽田に変更し羽田矢代宿禰と書く。
- ^ 『古事記』孝元天皇段
- ^ 『新撰姓氏録』右京皇別
- ^ 『日本書紀』大化2年条
- ^ 『和名抄』に大和国高市郡波多郷は後世、波多庄を称し、至徳三年(1386年)文書に畑庄と見ゆ、(高取町市尾から羽内の辺り及び明日香村南部まで)波多郷稲淵山との記述がある『五郡神社記』。 『大日本地名辞書 上方』 波多《ハタ》郷 和名抄、高市郡波多郷。今高取村舟倉村是なり。霊異記に高市郡波多里、又今昔物語高市郡八多郷に小島小寺ありと見ゆ、小島は今高取村に大字存す。 また波多神社のある冬野の麓には畑という地名が残るのでこの辺りまで波多郷であったと思われる。
- ^ 奈良県高市郡明日香村冬野152 『大日本地名辞書 上方』波多神社 大和志に今高市村の大字畑に在りと為す、畑は高取村の東に接すれば或は然らん、本社は延喜式に列す、波多氏の祖神なるべし。
- ^ 『日本書紀』応神天皇3年条
- ^ 『日本書紀』『古事記』では黒媛を葛城葦田宿禰の娘とする。
- ^ 『日本書紀』推古天皇31年条
- ^ 施基皇子(しきのみこ)、佐味朝臣宿那麿(さみのあそん・すくなまろ)、羽田朝臣斉(はだのあそん・むごへ)、伊余部連馬飼(いなべのむらじ・うまかい)、調忌寸老人(つきのいみき・おきな)、大伴宿禰手拍(おおとものすくね・てうち)、巨勢朝臣多益須(こせのあそん・たみやす)
- ^ 大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穂積・安曇
- ^ 『古事記』応神天皇段
- ^ 『新撰姓氏録』左京皇別
- ^ 『日本書紀』天武天皇元年7月2日条など
- ^ 『日本書紀』天武天皇13年10月条
- ^ 『本朝皇胤紹運録』
- ^ 『先代旧事本紀』国造本紀
- ^ a b 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年
- ^ 『新撰姓氏録』大和諸蕃
- ^ 「坂上系図」(『続群書類従』巻第185所収)
- ^ 延喜式神名帳記載の式内社
- ^ 『神祇志』『特選神名牒』
- ^ 『新撰姓氏録』未定雑姓。高皇産霊神の後裔であれば天神系氏族となる。
- ^ 『神祇宝典』『五郡神社記』
[続きの解説]
「波多氏 (古代)」の続きの解説一覧
- 1 波多氏 (古代)とは
- 2 波多氏 (古代)の概要
- 3 皇別氏族(日本武尊裔)
- 4 参考文献
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