波多国造とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 波多国造の意味・解説 

波多国造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 07:33 UTC 版)

波多国造(はたのくにのみやつこ・はたこくぞう)は、後の令制国土佐国西部、現在の高知県西部を支配した国造

先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、崇神天皇の御世に、韓襲命を神の教えにより国造に定められたとされる。

波多国造は後の令制国の土佐国のうち幡多郡を支配したと考えられ、その中心地は、現在の四万十市(しまんとし)中村説と、宿毛市平田の平田曽我山古墳のある平田古墳群の地とする説がある。「国造本紀」に見える都佐国造は波多国造より後の設置とされ、また律令制以前の南海道伊予から当地を経て都佐国造の地に至っており[1]、土佐中央部よりも先進地帯であったといわれている。

脚注

  1. ^ 土佐国への官道である南海道は伊予国を経由していたが、行程が長く山地が険しかったため、養老2年(718年)に阿波国経由に改められた(『続日本紀』養老2年5月7日条)。

参考資料

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会・編『角川日本地名大辞典(高知県)』 角川書店、1991年、ISBN 4-04-001390-5、808,1075,1111頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「波多国造」の関連用語

波多国造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



波多国造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの波多国造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS