大同類聚方
読み方:ダイドウルイジュウホウ(daidouruijuuhou)
大同類聚方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:40 UTC 版)
『大同類聚方』(だいどうるいじゅほう)は、平安時代初期の大同3年(808年)5月3日に成立した現存する日本最古の医学書[1][2][3]。薬品の処方(典薬寮本では808種)が、各地の神社や豪族の家系から集められて収録された。全100巻だが、2-7巻は江戸時代に失われた[1]。
- ^ a b c d e 根本幸夫「平安の国産薬 勅命レシピ◇9世紀の医学書読み解いて、現代語で復元めざす◇」『日本経済新聞』朝刊2019年10月2日(文化面)同日閲覧。
- ^ 同書に先立って和気広世が『薬経太素』なる書を著したとする説があるが、この説に対しては『薬経太素』なる書は存在しないとする強い批判がある。そもそも同書は『日本後紀』延暦18年(799年)2月乙未(21日)条に「(和気広世)大学会諸儒講論陰陽書新撰薬経太素等」とあり、これを「大学に諸儒を会して陰陽の書を議論し、新たに薬経太素等を撰す」と訓じたことに由来する。しかし、同条については、「大学に諸儒を会し、『陰陽書』、『新撰薬経』、『太素』等を講論す」と訓じる説が通説である。『陰陽書』は、詳細は不明であるが、呂才撰『陰陽書』(『大唐陰陽書』)などの陰陽道の基本書を指すと考えられる。また、『新撰薬経』は、蘇敬ほか撰『新修本草』の薬図・図経(略して薬経)のこと、『太素』は、楊上善撰『黄帝内経太素』のこととみられ、両書とも当時の医学の基本書を指すと考えられる。したがって、『薬経太素』なる書は『日本後紀』を誤読した結果生まれた偽書(『続群書類従』に採録された『薬経太素』は後世〈寛文元年[1661年]-延宝元年[1673年]頃か〉になって作られたと考えられる)であり、現在、その存在を支持する説はない。
- ^ “平安初期の処方箋出します 医書の現代語訳に挑む”. 日本経済新聞 (2019年10月2日). 2021年1月6日閲覧。
- ^ 後藤志朗「『勅撰真本大同類聚方』について」『日本医学雑誌』第43巻第1号、1997年、85頁、97頁。
- ^ 『日本後紀』大同3年5月3日条。
- ^ 後藤 前掲論文 89頁。
- ^ 『日本後紀』同日条。
- ^ 後藤 前掲論文 96頁。
- ^ 同 85頁。
- ^ 同 85頁、97頁。
- ^ 同 89頁。
- ^ 富士川游ほか編『杏林叢書』第4輯、吐鳳堂書店、1926年、105-106頁、92頁。
- ^ 文政11年刊本の巻之十三(用薬類獣類部)には「加母一名久之加 角乎用由 味淡久無臭 磨研弖用(由) 加賀国爾出(寸)」とある。
- ^ 文政11年刊本の巻之三十三(支波太依也美)には「支波多依病波[中略]小便少久色深茶色尓赤久濁流者也」とある。
- ^ 『日本後紀』弘仁6年(815年)4月22日条には「大僧都永忠手自煎茶奉御」とあり、また同月3日条には「令畿内并近江丹波播磨等国殖茶毎年獻之」との記述がある。
- ^ 『杏林叢書』第4輯、132頁。
- ^ 後藤 前掲論文 85-88頁。
- ^ 同 89-90頁。
- ^ 「日本古典籍総合目録データベース」国文学研究資料館
- ^ 後藤 前掲論文 88頁。
- 1 大同類聚方とは
- 2 大同類聚方の概要
- 3 典薬寮本
固有名詞の分類
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