皇別清原氏の一覧とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 皇別清原氏の一覧の意味・解説 

皇別清原氏の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 14:40 UTC 版)

清原氏」の記事における「皇別清原氏の一覧」の解説

清原氏臣籍降下した例は、『日本後紀』を始めとする六国史きわめて多く掲載される。以下の一覧のうち、承和13年846年7月に「清原朝臣」が下賜された例以外は、全て清原真人」である。 延暦17年798年12月24日、友上王(『日本後紀延暦23年6月条)。 同23年6月804年)、舎人親王孫小倉王の子繁野王清原夏野)。 天長10年833年3月、六世王の豊宗ら7人。 同年5月、六世王の長岡や岡於王ら男女27人。 承和13年846年2月従五位下益善王の子9人と、正六位上藤坂の子5人、正六位上御藤の子3人。 同年6月正六位上広田王戸口の7人。 同年7月正五位下の岑成王の子3人、正五位下長田王の子1人、長統王の子などを始めとする合計39人が「清原朝臣」。なお、後述するように、このうち成王長田王は、この3年後本人らが清原真人臣籍降下している。 同年12月、六世王の豊縄ら12人が清原真人嘉祥2年849年8月、六世王の善淵王ら17人。 同年11月讃岐従四位下長田王と従四位弾正大弼成王。 同3年850年)、貞代の子天武天皇五世孫の有雄王(『日本文徳天皇実録天安元年857年12月条)。 斉衡2年855年12月中務少輔正五位下興峰王。 同3年856年6月摂津従五位下益善王。なお、同年中に文屋真人改姓している。 天安2年858年1月、前長門守従五位下真定王とその弟の正六位上清貞王ら。 貞観元年859年6月舎人親王の六世孫12人。 同13年871年)閏8月舎人親王後裔有道の子女や姪女の計5人。 同15年873年11月、善常王、直道王、今道王。 同16年874年2月舎人親王の子孫で皇別中原氏中原真人正基に清原真人姓が下賜される。 以上の六国史に基づく記録以外では、長谷王清原長谷)が延暦10年791年)に清原真人氏姓下賜されたとする説もある。

※この「皇別清原氏の一覧」の解説は、「清原氏」の解説の一部です。
「皇別清原氏の一覧」を含む「清原氏」の記事については、「清原氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「皇別清原氏の一覧」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「皇別清原氏の一覧」の関連用語

1
12% |||||

皇別清原氏の一覧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



皇別清原氏の一覧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの清原氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS