野口米次郎とは? わかりやすく解説

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のぐち‐よねじろう〔‐よねジラウ〕【野口米次郎】

読み方:のぐちよねじろう

[1875〜1947詩人愛知生まれ米英滞在中、英文詩集刊行しヨネ=ノグチの名で知られる帰国後、伝統芸術心酔し多く評論書いた詩集二重国籍者の詩」「林檎一つ落つ」など。


野口米次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 05:15 UTC 版)

野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年明治8年〉12月8日 - 1947年昭和22年〉7月13日)は、明治大正・昭和前期の英詩人小説家評論家俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された[注釈 1]


注釈

  1. ^ 「日本の文芸家からノーベル賞金の受領者を詮衡するとしたら、差向き第一に選に上るは野口ヨネ君であろう。」(内田魯庵)「世界的に承認される亜細亜の詩人」『日本詩人』新潮社、1926年5月号巻頭論文
  2. ^ 鵜飼大俊(1846-1878)は、野口の母の兄。釋大俊とも称される。愛知県稲沢市(旧片原一色村)生まれ。11歳で片原一色村善応寺説応の弟子となり、18歳で江戸に出、増上寺密雲学寮に入り、僧侶、漢詩人として知られる。1870年(明治3年)の雲井龍雄の事件に関与する。33歳急死の直前、一夜に300編の四行漢詩を書く。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.188-193
  3. ^ 野口は、徒歩で前橋在住の長兄宅を訪問したが、長兄の方も野口を探しに東上しており行き違った。野口は東京に戻る。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323
  4. ^ カーライル聴講は、1892年(明治25年)慶應義塾別科にて。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323
  5. ^ この書を読みながらロンドンに憧れた。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323
  6. ^ 秋の一夜、福澤諭吉の許に暇乞いに赴くと、福澤は自身の写真の裏に七言絶句を書いて野口に与えた。野口米次郎著『米次郎随筆』第一書房、1926年 p.17
  7. ^ 天長節の佳辰、すなわち吉日。三田商業研究會編『慶応義塾出身名流列傳』實業之世界社、1909年 p.494
  8. ^ わずか100ドルを持って出た。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.27
  9. ^ 同11月に祐眞僧正が同寺の晋山式を済ませたばかりであった。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.325
  10. ^ 日英米三国の詩人を糾合した。亀井俊介作「東京大學新聞評 外山卯三郎著 ヨネ・ノグチ研究」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.302
  11. ^ 新篇文学作品の寄稿を依頼した相手の人々は、岩野泡鳴ロバート・ローレンス・ビニョン、ローレンス・ハウスマン、土井晩翠トーマス・ハーディ、チャールス・ウァレン・スタダード、ルイス・モーリス卿、ルイス・イモージーン・グイネー、小山内薫、ホアキン・ミラー、蒲原有明河井酔茗高安月郊、ダスタン男爵夫人、上田敏ウィリアム・バトラー・イェイツ、メアリー・マクニール・フェノロサ、前田林外、ウィリアム・ブリス・カーマン、フランク・ブトナム、児玉花外、イーディス・エム・トーマス、山本露葉、アルフレッド・オースティン、アーサー・シモンズ、サザーランド侯爵夫人、ジョセフィン・プレストン・ピーボディ、ジョン・ピー・タッブ、メーネル夫人、平木白星、薄田泣菫ら。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.79
  12. ^ 円覚寺境内にある塔頭の一つ。別称を亀寺という。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 p.207
  13. ^ 西洋詩の「理知」に対抗する東洋的「暗示」を説いた。亀井俊介作「東京大學新聞評 外山卯三郎著 ヨネ・ノグチ研究」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.302-303
  14. ^ 個人の嗜好を問われ、「歩くこと」と答えたところ、英国版紳士録の履歴にそのまま記載された。野口米次郎著『米次郎随筆』第一書房、1926年 pp.4-5
  15. ^ 帰国前に野口は鷲津尺魔、翁久允らを伴いミラー山荘を再訪し、故ミラーの妻、娘と再会を果たした。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.84-86
  16. ^ 5月11日、中央亭において開催された会合における演説の中で、野口は、該当号読後の感謝と不満とを併せて表明した。不満は、各執筆者による野口論から、悉く退屈、義務的態度が看取された点にあった。外山卯三郎作「萩原朔太郎の見た詩人野口米次郎」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.97-98
  17. ^ この頃、雑誌『日本詩人』の編集は、佐藤惣之助による。長沼重隆作「野口さんのこと」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.162
  18. ^ 1933年にタゴールからの講演依頼があったものを、翁久允が野口に伝えた。翁久允作「ヨネ・ノグチの思出」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.185-187
  19. ^ なお、「タゴールへの公開状」「四度びタゴールに與ふ」と併せて『强い力弱い力』(1939)に収録。さらに「タゴールへの公開状」「タゴールに與ふ」と併せて『想思殿』(1943)に収める。「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.332
  20. ^ タゴールとは意見に相違があり、野口は讀賣新聞紙上で、タゴールはインドの新聞紙上で対立的論戦を行っていた。翁久允作「ヨネ・ノグチの思出」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p.187
  21. ^ 豊岡村長飯田憲之助の離家を拝借。この家にて死去する。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.308
  22. ^ 両親への献呈。また、野口寧齋による七言律詩が序として付けられている。
  23. ^ 実業家であった日向輝武への献呈。
  24. ^ 自著The spirit of Japanese poetry (1914)の翻訳。野口と加藤朝鳥との共訳。
  25. ^ 内田魯庵への献呈。1919年には岩波書店。1932-1933年、1934年には誠文堂。春信、北齋、寫樂、清長、歌麿、廣重の6人。1934年には誠文堂より各人あて6冊を漆箱に納めて出版。なお、初版復刻で『六大浮世繪師』岩波書店、2001年
  26. ^ Horace Traubelによる序文あり。
  27. ^ 二重國籍者の詩第二集。森田恒友による装幀。
  28. ^ 岩野泡鳴への献呈。
  29. ^ 副題は、感想集。恩地孝四郎による装幀。
  30. ^ 野口による編著。
  31. ^ 1931年には私家版、1932年には誠文堂。
  32. ^ 初版は第一書房。復刻で『印度は語る』ゆまに書房「文化人の見た近代アジア」、2002年
  33. ^ 百田宗治編。
  34. ^ 川端龍子による装幀。
  35. ^ 副題は、美術論集。
  36. ^ 副題は、自選詩集。
  37. ^ 初版は牧書房。復刻で『傳統について』大空社「叢書日本人論」、1997年
  38. ^ 副題は、文藝論集。
  39. ^ 副題は、随想集。
  40. ^ ネリー・イ・エヌ・スミスへの献呈。チャールス・ウァレン・スタダード博士による序文、ウィリアム・キースによる挿絵あり。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.31
  41. ^ 新渡戸稲造による序文あり。
  42. ^ 別題:御小間使朝顔孃の書簡。
  43. ^ Joaquin Miller(ホアキン・ミラー)と共著。幸田露伴が1904年(明治37年)9月17日、18日の讀賣新聞に載せた「野口米氏に寄す」という21連の長詩を序文として再録。外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 pp.15-24
  44. ^ 一時期、レオニー・ギルモアが、八雲の長男一雄の家庭教師をしていた。
  45. ^ 画家牧野義雄による挿絵。
  46. ^ 英国の詩人、作家、批評家であるEdmund Gosse(エドマンド・ゴス)への献呈。
  47. ^ ウィリアム・バトラー・イェイツへの献呈。
  48. ^ 別の表題表記は、哥麿。
  49. ^ 蕗谷虹児による挿絵・装幀。
  50. ^ ウォルター・シェラード・ヴァインズ(1890–1974)。イギリスの作家、教師。来日し、1923年から1928年まで5年間慶應義塾で英文学教授として教鞭を執る。Sherard Vines:wiki en version 2020.6.13閲覧
  51. ^ The Poet Yone Noguchi (1925)の翻訳出版。

出典

  1. ^ 以前の設置場所であった津島市立図書館には野口米次郎の特設文庫がある
  2. ^ 「年譜 野口米次郎」ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp.267-271
  3. ^ a b c d e f g 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.323
  4. ^ a b 「野口米次郎年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.96
  5. ^ ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 p.18
  6. ^ 三田商業研究會編『慶応義塾出身名流列傳』實業之世界社、1909年 p.494
  7. ^ a b c 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.324
  8. ^ a b c 「野口米次郎年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.97
  9. ^ スエヨシ 2019, p. 207.
  10. ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.32
  11. ^ Yone Noguchi:wiki en version 2020.6.10閲覧
  12. ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.326
  13. ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチの詩』造形美術協会出版局、1966年 p.150
  14. ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.330
  15. ^ 「佐藤惣之助年譜」『日本詩人全集12 野口米次郎、川路柳虹、千家元麿、佐藤惣之助』新潮社、1969年 p.349
  16. ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.331
  17. ^ 外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 巻頭写真(3)
  18. ^ 「ヨネ・ノグチの年譜」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究』造形美術協会出版局、1963年 p.333
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『ヨネ・ノグチ研究 論文集』316 - 322頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月10日閲覧。
  20. ^ 『人事興信録 第6版』の18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月11日閲覧。
  21. ^ 『大衆人事録 第5版』タ75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月13日閲覧。


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