帰国から死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 12:42 UTC 版)
1911年、44歳を最後に帰国し、東京の千石(現、東京市小石川)に住居を構え、逓信博物館(現在の逓信総合博物館)に勤務。国内でも絵を描き続け、太平洋画会(現在の太平洋美術会)に所属した。展覧会に出品もしているが、画壇の主流ではなかったためかアメリカでの成功ほどには評価されていない。 1912年、ステュアート・キューリンが再来日した際には美術品収集を手伝い、一緒に歌舞伎、能(画家の野口米次郎と同伴)などを観賞、夜は家族(妻と子供二人)を伴い食事をしている。 1924年、結核で死去。享年57。グリニッチ歴史協会には今でも彼の写真とマックレーが描いた源次郎の肖像画が保存されている。
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