金田心象とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金田心象の意味・解説 

金田心象

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/08 06:59 UTC 版)

金田 心象(かねだ しんしょう、1908年1月18日 - 1990年2月16日)は、日本書家文部省事務官なども務めた。心象で、本名 吉尾

経歴

金田心象書道美術館

1908年北海道天塩郡幌延町に生まれる(戸籍上;実際は1907年8月北海道留萌市に生まれ、翌年幌延に移住した[1])。1928年、20歳で鈴木翠軒に師事した。また、同年北海道札幌師範学校(現:北海道教育大学札幌校)卒業、文部省教員検定試験に合格。小学校・中学校・女子高等師範学校の習字科での教員生活を経て、1943年文部大臣官房秘書課嘱託となり、文部省に入省した。文部省では習字教科書執筆や学習指導要領の編纂などに携わったほか、賞状・式辞などの揮毫を担当した(1967年に文部事務官退官)[2]。書家としては、翠軒に師事したほか、1933年から書道芸術社にも同人として参加、戦後は毎日書道展審査員、日展評議員などの役職を歴任し、1965年日展文部大臣賞、1971年日本芸術院賞[3]を受賞した。

1983年、勲四等旭日小綬章受章。1990年、肺炎のため82歳で死去した。従五位

出身の幌延町には、1989年ふるさと創生事業で建てられた金田心象書道美術館がある。

著書・作品集

  • 金田心象『心象書集』心画院、1968年
  • 聖徳太子・金田心象『十七条憲法』心画院、1975年
  • 金田心象『黄鶴帖』心画院、1977年
  • 金田心象『復始帖』心画院、1977年
  • 金田心象『心象独談』主婦の友社、1984年
  • 金田心象編『楷書 孟法師碑』二玄社、1987年<書道技法講座29>

脚注

  1. ^ 幌延町ホームページによる。金田の自著では6歳の時に移住したとしている(金田心象『心象独談』主婦の友社、1984年、224頁)。
  2. ^ 第27回国会中の1957年11月11日、14日の衆議院文教委員会では話題が金田のことにも及んでおり、金田の職務内容が確認できる。
  3. ^ 『朝日新聞』1971年4月10日(東京本社発行)朝刊、23頁。

参考文献

  • 西川寧編『書道講座 第一巻 楷書』二玄社、1971年
  • 金田心象『心象独談』主婦の友社、1984年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金田心象」の関連用語

金田心象のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金田心象のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金田心象 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS