富士川英郎とは? わかりやすく解説

富士川英郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 01:57 UTC 版)

富士川 英郎
人物情報
生誕 (1909-02-16) 1909年2月16日
日本東京都
死没 2003年2月10日(2003-02-10)(93歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 富士川義之(イギリス文学者)
学問
研究分野 文学(ドイツ文学)
研究機関 九州帝国大学東京大学玉川大学
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富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本ドイツ文学者比較文学者、東京大学名誉教授

経歴

出生から修学期

1909年、東京で生まれた。父・富士川游は医師で医学史家。神奈川県立湘南中学校旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学に進学。1932年に卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。

文学研究者として(戦前)

1936年、第六高等学校講師となり岡山に住んだ。1938年、長男富士川義之が誕生。1943年、佐賀高等学校教授を命じられた。

太平洋戦争後

1946年、九州帝国大学講師に就いた。1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授となり、1956年に教授昇格。大学ではドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授を務めた。大学では島田謹二氷上英廣が同僚であった。1969年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは玉川大学教授として教鞭を執り、1979年に定年退職。退任後も5年間は客員教授として教鞭を執った。1989年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。2003年に死去。

受賞・栄典

研究内容・業績

ドイツ文学者としてはR・M・リルケを専門とし、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で、のちに弟子らと『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。

比較文学の点では近世漢詩の研究でも『江戸後期の詩人たち』が良く知られている。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。

指導学生

家族・親族

著作

記念論集

主な訳書

富士川英郎に関する資料

伝記
  • 富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』新書館[10]、2014
巻末に年譜書誌。第66回読売文学賞(評論・伝記部門)
図録

参考文献

  • 『読書清遊 富士川英郎随筆選』講談社文芸文庫、2011年6月。富士川義之編、年譜・書誌

脚注

  1. ^ 『朝日新聞』1986年2月26日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  2. ^ 各・小冊子『Poetica 特集 富士川英郎』小沢書店(第3号、1992年1月発行)に寄稿
  3. ^ 鴟鵂(しきゅう)はミミズクの漢語
  4. ^ 限定版の小冊子
  5. ^ 上下・二冊組の大著
  6. ^ 分担訳で、他は大山定一尾崎喜八
  7. ^ 主に書簡からの語句を編訳。
  8. ^ ゲオルゲも分担訳で、他は手塚富雄、大山定一
  9. ^ 旧仮名で表記。なお著作の版元表記は全て旧字
  10. ^ 2008年秋より『季刊 大航海』(新書館、編集長は三浦雅士)で連載開始、4回目(2009年6月発行のNo.71)で休刊により中断。数年を経て書き下ろし全16章で刊行。




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