慈周とは? わかりやすく解説

慈周

読み方じしゅう

京都知恩院住僧。字は六如、号は白無着庵・葛原操觚近江八幡の人。苗村介洞の子野村東皐に詩文学び、のち宮瀬龍門につく。仏儒に通じ詩を能くした。著書に『放生功徳集』等がある。享和元年(1801)歿、68才。

慈周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/18 14:25 UTC 版)

慈周(じしゅう、享保19年(1734年)- 享和元年3月16日1801年4月28日))は、江戸時代中期の天台宗の僧侶、多くの漢詩を残している。父は医者・苗村介洞。字は六如。号は白楼・無着庵。近江国の出身。


  1. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』 麥書房、1966年、3-4p。
  2. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』 麥書房、1966年、4p。
  3. ^ 今関天彭 『江戸詩人評伝集1』 平凡社、2015年、122p。
  4. ^ 富士川英郎 『江戸後期の詩人たち』 麥書房、1966年、3p。
  5. ^ 今関天彭 『江戸詩人評伝集1』 平凡社、2015年、125p。


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