木村知石とは? わかりやすく解説

木村知石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/17 01:33 UTC 版)

木村 知石(きむら ちせき、1907年6月10日 - 1983年11月27日)は、大阪市西区生まれの書家日展評議員を務めた。

経歴

1907年(明治40年)、大阪市西区に生まれた。1924年大正13年)に黒木拝石に勧誘されたことがきっかけで、拝石に師事する(同門には小坂奇石がいる)。1942年(昭和17年)には第11回東方書道会展に出品した作品で最高賞を獲得した。

しかし、太平洋戦争の戦時体制が強化され、各書道団体、書家が書道報国会に結集すると、木村はこれを嫌って郊外へ疎開、戦後もしばらく書壇との関係を絶った。

1952年(昭和27年)になって日本書作院が、平尾孤往、津金寉仙らの回瀾書道会と手島右卿らの独立書道会(現在の独立書人団)とに分裂すると、木村は回瀾書道会に同人として参加し、書活動を再開する。 翌1953年(昭和28年)、1954年(昭和29年)には日展で特選を連続受賞した[1]。 また、1969年(昭和44年)には「蘇東坡詩(老人癡鈍已逃寒)」で日展文部大臣賞を受賞。1976年(昭和51年)には日本芸術院賞を受賞した[2]

1983年、76歳で死去し、勲四等旭日小綬章が追贈された。翌年の日展には「鴛鴦延壽」が遺作として出品された。

出品作

  • 五言対聯(春来花落)(1963年、現代書家三十人展)(左手書きを試みたもの)
  • 天魔膽落(1968年、第11回日展)
  • 蘇東坡詩(老人癡鈍已逃寒)(1969年、改組日展)

作品集

  • 『木村知石作品集』東京堂出版、1980年
  • 『木村知石書法』尚学図書、1982年(現代日本書法集成)

映像

  • 『書・20世紀の巨匠たち』第3巻、天来書院(VHS・DVD)

脚注

  1. ^ 木村知石『出身県別 現代人物事典 西日本版』p865 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 『朝日新聞』1976年4月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。

参考文献

関連項目




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