堤千代とは? わかりやすく解説

つつみ‐ちよ【堤千代】

読み方:つつみちよ

1917〜1955]小説家東京生まれ本名文子先天的な心臓疾患抱えており、通学せず自宅独学。「小指」およびその他の作品女流作家として初め直木賞受賞。他に「再会」「柳の四季」「カナリヤの歌う日」など。


堤千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 23:28 UTC 版)

読売新聞社『家庭よみうり』358号(1953年)より堤 千代

堤 千代(つつみ ちよ、1917年大正6年〉9月20日 - 1955年昭和30年〉11月10日)は、日本の小説家である。出生名堤 文子(つつみ ふみこ)、結婚後本名は福留 文子(ふくどめ ふみこ)。女性初の直木賞作家として知られる。

人物・来歴

1917年大正6年)9月20日東京都牛込区矢来町で、大蔵省の職員であった堤光芳の次女として生まれる[1]1940年昭和15年)、「小指」およびその他の作品で第11回直木賞受賞[2]、22歳10か月の受賞年齢は、現在でも直木賞の最年少記録である。幼時より心臓に重い疾患を抱えていたため、学校には通えず、家で寝たきりのような生活の中で多数の小説を執筆していた。1955年(昭和30年)11月10日脳血栓を併発し満38歳で早逝した。

生年にまつわる疑問

実妹、大屋絹子は1991年に千代の出生から、自身が結婚し別居する終戦直後までの回想録、『オフェリアの薔薇 堤千代追想記』を私家出版している。この中で千代の生年を明治44年(1911年)と記している。これが正確であれば、直木賞受賞時の年齢は28歳10ヵ月となり、最年少記録ではなくなる[3]。だが、同書には文藝春秋昭和15年9月号にある受賞発表記事の切り抜きが掲載されており、そこにある千代の略歴には大正6年生とある。また、同じく報知新聞昭和15年8月の切り抜きもあり、そこでも千代の年齢を24歳(数え)としている。堤家は千代、絹子を含めて1男4女で、千代の上に姉がいるので混合があったかもしれないが定かではない[1]

著書

脚注

  1. ^ a b 大家絹子 『オフェリアの薔薇 堤千代追想記』(1991年、私家版)
  2. ^ 堤千代(ツツミチヨ)とは - コトバンク
  3. ^ 2番目に若いのは、23歳で受賞した朝井リョウ
  4. ^ a b 堤千代日本映画データベース、2012年10月4日閲覧。

関連項目

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