藤本義一 (作家)
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藤本 義一(ふじもと ぎいち、1933年〈昭和8年〉1月26日 - 2012年〈平成24年〉10月30日)は、日本の小説家、放送作家。本名の読みは「ふじもと よしかず」(ただし、出生届けの読み仮名は「ふじもと よしかす」で出されたという。[1])大阪を舞台にした作品を書き、エッセイも数多い。
- ^ 父親が「よしかず」として出生届を提出するつもりであったが間違えて濁点なしで届け出てしまった(『週刊大衆』2010年4月19日号98ページ)。
- ^ 「大学は、立命館大学法学部、浪速大学教育学部、途中から浪速大学経済学部、これが卒業する時は大阪府立大学と校名が変更されていた。大学の在学年数は1年生を3回、2年生を2回、3年生を1回、4年生を1回。合計、〆めて7年間在籍した」(「軽口浮世ばなし」1977年:ダイヤモンド社)
- ^ “藤本義一君の死を悼む-1”. 岳遼の最新情報 (2012年11月2日). 2014年9月5日閲覧。
- ^ a b c “作家・藤本義一さん死去 震災遺児支援にも注力”. 神戸新聞NEXT. (2012年10月31日). オリジナルの2014年9月5日時点におけるアーカイブ。 2014年9月5日閲覧。
- ^ “藤本義一氏が死去 直木賞受賞、テレビ司会も”. 日本経済新聞 (2012年10月31日). 2020年11月8日閲覧。
- ^ “藤本義一さん病床でもペン…作家の生き様”. 朝日新聞DIGITAL. (2012年11月1日). オリジナルの2013年4月25日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “「関西の誇るべき人」 藤本義一さん悼む声相次ぐ”. Sponichi Annex. (2012年10月31日). オリジナルの2012年11月3日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “桂文枝 藤本義一さんを悼む「悲しくて 悔しくて 寂しくて」”. Sponichi Annex. (2012年10月31日). オリジナルの2012年11月3日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “藤本義一さん死去:関西文化の中心失った…関係者ら悲しみ”. 毎日jp. (2012年10月31日). オリジナルの2012年11月2日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ 1988年9月29日、読売テレビ - 日本テレビ系『木曜ゴールデンドラマ』で放送。
- ^ “文枝、藤本さん「追悼落語作りたい」”. デイリースポーツ ONLINE. (2012年11月1日). オリジナルの2012年11月1日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “藤本義一さん告別式 友人ら別れ”. 日刊スポーツ. (2012年11月5日). オリジナルの2012年11月4日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “藤本義一さん病床でもペン…作家の生き様”. 朝日新聞DIGITAL. (2013年1月13日). オリジナルの2013年5月21日時点におけるアーカイブ。 2014年9月3日閲覧。
- ^ “原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態 電力会社幹部は3年間で5600万円を自民党政治団体に献金、「味方作り」を推し進めてきた(フライデー)Page - 3”. 現代ビジネス(講談社) (2011年4月18日). 2014年9月5日閲覧。
- ^ 「西鶴よみがえる-私の創作論」 - (日本放送出版協会)
- ^ 週刊文春、2017年7月20日号P29-30
- ^ 松居一代悼む 藤本義一さんは「神様のような人」,スポーツニッポン,2012年11月1日
- ^ 藤本義一 - オリコンTV出演情報
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