落柿舎とは? わかりやすく解説

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らくし‐しゃ【落柿舎】

読み方:らくししゃ

京都市右京区嵯峨(さが)にあった向井去来別宅。師の芭蕉がこの庵を訪ねて嵯峨日記」を残した現在の建物は、明治初年再興


落柿舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 08:05 UTC 版)

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落柿舎(2009年11月26日撮影)
玄関
全景

落柿舎(らくししゃ)は、京都市右京区嵯峨野にある草庵である。松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている。

名前の由来

去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』がある。

庵の庭には40本の柿の木があり、日頃去来は人にこの庵の管理を任せていた[1]。ある時(1689年(元禄2年)頃[2])、去来がちょうど在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の一貫文を出して買い求めたので、去来は売る約束をして代金を受け取った[1]。しかしその夜、嵐が吹き、一晩にして柿がすべて落ちてしまった[1]。翌朝来た老商人がこの有様に呆然としつつ、代金を返してくれるよう頼み込み、去来はこれを不憫に思って柿の代金を全額返した[1]。この老商人が帰るにあたって去来は友人あての手紙を託し、その中で自ら「落柿舎の去来」と称したという[1]

歴史

去来は、貞享2-3年(1685年 - 1686年)ころに、嵯峨野にあったこの庵を入手した[2](なお、去来の当時の庵の正確な場所は不明である[2])。もともと豪商が建築したものである[2]

芭蕉は、1689年元禄2年)以来3度にわたってこの庵を訪れた[1]。とくに1691年元禄4年)には4月18日から5月4日までと長く滞在し、『嵯峨日記』を著した[1][2]。このほか、野沢凡兆とその妻・羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。

現在の庵は、1770年(明和7年)に俳人・井上重厚(嵯峨出身で、去来の親族でもある)により再建されたものである[1][2]。この場所は弘源寺の跡であった[2]。また明治初年にも再興されている[2]。現在の庵の裏手には去来の墓がある。

現在は、公益財団法人落柿舎保存会によって保存・運営がなされている。2008年平成20年)12月1日から2009年(平成21年)9月末まで庵の大規模な修復工事が行なわれた。

句会席

申込制で次庵が句会席として利用できるようになっている。

  • 時間:13時〜16時
  • 料金:入庵料込で700円(5名以上20名まで)

文芸・歌曲の中での言及

フォークデュオタンポポの楽曲「嵯峨野さやさや」(1975年)の2番で「雨の落柿舎 たんぼ道」と歌われている。

所在地

  • 京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20

交通アクセス

  • 嵯峨嵐山駅徒歩15分
  • 市バス・京都バス 嵯峨小学校前より徒歩10分

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 落柿舎について”. 落柿舎. 2017年4月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 落柿舎”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2017年4月26日閲覧。

参考文献

  • 坪内稔典「柿への旅5 俳句の家・落柿舎」『図書』2009年8月号、岩波書店

外部リンク

座標: 北緯35度1分14.2秒 東経135度40分15.2秒 / 北緯35.020611度 東経135.670889度 / 35.020611; 135.670889



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