有吉立行
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有吉 立行(ありよし たつゆき、永禄元年12月11日(1559年1月19日) - 慶長12年12月14日(1608年1月31日))は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、豊前中津藩家老である。
- ^ 1528?-1583。佐々木立英(?-1531、通称将監)の子。幼名は万吉、通称・将監。
- ^ 8月の第二次淀古城の戦いのこと。
- ^ 「細川家の大名屋敷の台所料は不如意」という理由から、慶長5年(1600年)2月、徳川家康より豊後速見郡湯布院6万石加増されている。
- ^ 九四 (慶長五年)八月廿五日 有吉立行・松井康之連署状
- ^ 知行高三〇〇石の秀成の中級家臣。
- ^ 九五 (慶長五年)九月十日 有吉立行・松井康之連署状
- ^ 立行-興道=英貴-英安=貞之-貞親-立貞=立好-立邑=立喜=立直=立憲=立生=立元=立道=立愛=立武=立礼-立生=登聖と続き、維新後男爵。
- ^ 当時は17・18歳ぐらいであったとされる。
- ^ 細川家の記録には「総じて若き時は鈍き生まれつきと諸人存じ候」とある。
- ^ 「この者ただものにあらず」と思った、と『細川家記』は記している。
- ^ 『細川家記』によれば、「次第にさかしく成り」とある。
- ^ 「-」は実子、「=」は養子。
- ^ 元和八年五月十四日書状(338)
- ^ (寛永十一年)十二月六日 松井興長・有吉立道・米田是季連署状(神雑一、一九五、一)。
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