北米紀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:26 UTC 版)
(序曲)では、客船で知り合い、ハワイまで同行した60歳近い日系移民一世の女性から聞いた話が綴られている。彼女は40年前に仙台からカリフォルニア州に移民し、4度目の日本帰郷(日本の見納め)から住まいのあるロサンゼルスに戻る途上で、三島に太平洋戦争中のアメリカ抑留生活の思い出話をした。 (ハワイ)では、「未開と物質文明とのいかにも巧みな融合」のハワイの鮮やかな「天然色」的な魚や花、服飾や風景を、「広告画家の絵具」で描かれたようだと表現し、観光地ホノルルの「何か用意周到な野趣といふやうなもの」の雰囲気を伝えながら、ユーモラスに締めくくっている。 (桑港)では、サンフランシスコの日本人経営の粗末なホテルで食べた不味い日本料理(顔いろのわるい刺身、がさつな給仕、一膳宿屋の雰囲気、粗悪な味噌汁、日本では下等な宿でしか使わない均一物の食器)からしみじみ感じたみじめな哀感や、サンフランシスコ湾の風景が綴られている。 (羅府)では、ロスアンゼルスのハンティントン美術館で、ルイ王朝のフランス工芸品(白粉筥、メダイヨン)を観て、「楕円形の肖像画」の中の人々へ思いを馳せている。 (ニューヨーク)では、エンパイアステートビルやラジオシティ・ミュージックホールを案内した社会主義者のクルーガア女史(37、8歳)とのユーモラスな交流や、メトロポリタン歌劇場で観たオペラ『サロメ』やミュージカル『南太平洋』『コール・ミー・マダム(英語版)』についての劇評、ニューヨーク近代美術館で観たピカソの『ゲルニカ』の「苦痛の静けさ」の感想を綴っている。また、ハーレムの酒場での黒人たちの「悪徳の健康な精髄の如きもの」「皮膚の黒さが白人の心に投影するあのふしぎなもの、醜さや罪悪や悖徳や無智の印象の或る輝やかしい精髄」を観察している。三島は「紐育の印象――」と書いて改行し、「などといふものはありえない。一言にして言へば、五百年後の東京のやうなものであらう」と記している。そう綴った1952年(昭和27年)1月、東京にはまだ空襲の焼け跡やバラックが残っていた。また、オペラ『サロメ』の演出についての感想や、「日本でこれを上演しようとする人の参考」の箇条は、のち1960年(昭和35年)4月の文学座公演『サロメ』の三島自身の演出に生かされる。 (フロリダ)では、インディアン部落で若いインディアンが家の前でコカコーラを売っているのを見たり、ネイプルズ沖の美しいマングローブや風景、釣りで「キング・フィッシュ」を漁ったことが綴られている。 (San Juan)では、プエルトリコの首府サン・フワンの街角に佇む若者やキャフェテリアの酔客やウエイトレスの様子が綴られている。
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