演出について
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「時をかける少女 (1983年の映画)」の記事における「演出について」の解説
"元祖アイドル映画監督"とも評される大林は、1988年のインタビューで、アイドルの演出法、女優と監督の関係について本作を例に、「映画監督と女優の関係というのは非常に難しいもんでね。映画というのは共同作業といいながら、実は監督の個人的な夢を描くわけです。それも他人の人生を借りて表現するのね。映画というのは短いものでも3ヵ月から半年くらいは撮影するのに必要ですから、『時をかける少女』でいえば、ボクにとっての45歳の数ヵ月、原田知世にとっては16歳の数ヵ月を一緒に過ごすわけです。ボクは自分の映画を撮るからいいんだけど彼女にとっては人生の中で非常に貴重な時間でしょ。それをボクに貸してくれるわけ。半年でも映画の中に生きていると、人間ってのはその映画に影響されるものなんですよ。映画の中の原田知世、役名芳山和子は、ある青年に恋をするんです。それもこの世にないくらいの理想の恋を。すると原田知世と芳山和子の区別が、彼女自身つかなくなってくるんですね。その半年の間、芳山和子が体験した恋愛は原田知世の16歳の体験にもなってしまう。もし、彼女がその後、誰かのことを好きになったときに、少しでも芳山和子的な部分があったとしたらね。それは原田知世にとって幸福か不幸かと言えば、ボクは不幸だと思うんです。ボクは彼女の実人生をどこかで少しづつ傷つけているのかもしれない。そういう恐怖感を監督は持っているわけですよ。で、ボクは彼女に大して何をしてやれるかと考える。彼女の頭上のライトが落ちてきたらどうするか。ボクは彼女を突き飛ばして身代わりに死ねるか。これは思い込んでいくと恋愛と一緒でね。オレは知世が大好きだ、身代わりに死んでもいいと思える瞬間が来るんですよ。その時に、ヨーイ、スタートの声をかけるわけですね。『時をかける少女』の原田知世は、演技するうちにどんどん芳山和子に成りきっていきました。芳山和子って、ようするにボクが創ったボクの恋人ですからね。カットをかけたくないですよ。でも映画というのは、眼を閉じたり開いたりするように、時間を断ち切る作業ですから。いつかストップしなくちゃいけない。ボクにとっては、あらかじめ失恋を予想したプラトニックラブみたいなもんですよ。で、遂にカットの声をかけます。瞬間、それこそ『ここはどこ、私は誰?』って顔するんです。これはね、地獄を見た顔ですよ。今まで愛していると言われ続けた少女が、突然、嫌いだと言われた顔ですよ。同時に『そうか、私は原田知世なのね』という顔もするんです。カットと声をかけた後も、フィルムは少し回っているんだけど、3コマくらいにその瞬間が映ってるんですよ。ボクの恋人が逃げて行く瞬間だね。そういうフィルムをボクは大事に持っているんです」などと説明をしている。 1983年の一般公開前とみられる石上三登志との対談で、大林は以下のような作品解説をしている。文中の"今"は1983年当時を指す。「SFとか子供が主人公の映画というと、子供用の映画と思われちゃうんですけど、僕としては、子供を使って大人の映画を作っているわけで、むしろ、子供を使うことによって、大人の感情の純粋な部分が描けるというのが、ジュブナイルものであり、SFものだと思います。少年少女はストイックなまでに肉体的存在でないから、感情としては実にセクシーなんです。『転校生』で男女を入れ替えたのも今度の『時をかける少女』で、少女が未来少年と恋をするという設定も、結局、肉体を喪失しちゃうから、より感情としての純度が磨かれる。それはまさに大人の感情模様である、だからセクシーでもあるのです。ファンタジーという技法そのものは、1940年代、1950年代のハリウッドでは、大人の感情を描くためにうまく使われていた。それがいつの間にか、子供たちの愛玩物になってしまった。大人がそうしてしまった風潮もある。ファンタスティックな表現というのは、かつては大人の映画で実に優雅に使われていた。ところが今は、そういう技法を使う作品というのは、限られたジャンルになってしまったところがある。これは正にSFが市民権を得たがために、逆にまた一つのジャンルに逆行してしまっているという状況でもある。SFというのは本来、人間の魂のリリシズムであるとか、人間の尊厳であるとか、内面的世界をデリケートに感情豊かに描くための素材であったはずなのに、それがファッションになり過ぎてしまったという反省が僕にもあります。今度の映画もストーリー的には三角関係のメロドラマだけど、これをベタベタした甘えの構造になるところが、SFファンタジーでやるからこそ、一種の節度、キリリとした礼節が生まれる。それがリリシズムに繋がっています」「原田知世はもちろん15歳ですから、セリフはまだ、どちらかというとネンネ言葉だけれど、キリリとした大人の感性を持っている。この表現力に感動しました。『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドや『オーケストラの少女』のディアナ・ダービンという、正統派のハリウッド少女スターのリインカーネーションではないかと思いました。原田知世は自己の存在を一度、抹消して、役の芳山和子としてスクリーンの中で甦る、そういう才能を持っていました。思えば1950年代の少女スターたちが、映画館の暗闇の中にのみ、ほのかな夢のように息づいて、白日のもとでは遠い記憶のように消滅してしまう、そういう儚さを持っていたからこそ、スクリーンの中で存在感を得ることができた、そういうことと似ているかもしれない」「(本作一本だけ撮って原田を引退させるという話とは逆だが)原田の資質を見た時にこれはタレント映画にしてはいかん、この子はいろいろな役柄ができると信じているので、今回はストイックな役に閉じ込めてみたんです。正統派の映画で芳山和子という役をきっちり演じさせてみようと思いました。アイドル映画にも、タレント映画にもしなかったつもりです。そのことによって原田知世という新人の魅力は光るだろうし、二作目、三作目で全く違うことがやれるだろうと思う。彼女はそういう演技の幅は持ってると思います」「いくら相手が子供や少女でも、演出しているということは、感情的には男と女の関係にあるわけです。その感情が乗り移らないと、少女は少女として輝かないんですね。その辺がタレント映画を作るのとはちょっと違う。というところを、自ら課しているところもあります。これは『転校生』以降に変化した僕の演出論です」などと述べている。 堀川吾朗役は現実の少年、日常中の少年のため、吾朗役にリアリティがないと、話が全部絵空事になるという判断から、可哀想すぎる役ながら、作品のヘソをきっちり抑えて欲しいと尾美としのりを起用した。深町一夫役の高柳良一には、「突っ立ていろ、セリフは棒読みでいい」と伝え、高柳にボイストレーナーを付けて指導させて、味のある棒読みをさせた。三人のイメージは、ミッキー・ルーニーとピーター・ローフォードか、ロバート・テイラーの間にいたジュディ・ガーランド。
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「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」の記事における「演出について」の解説
次回予告時に流れるエンディング曲も番組内の挿入曲と同様にクラシック音楽であったが2006年から邦楽が使用されるようになった。 エンディングの形式は一貫して、次回予告の後にたけしが「そのまま放って置くと、大変な事になりますよ」と言って後ろを振り向き去っていきそのまま提供クレジットに入る形となっていた。この映像は番組開始当初からずっと変わっておらず、放送開始から数回でたけしが髪を金髪にしたがこの映像のみ黒髪のままであった(現在は黒髪に戻している)。 レッドゾーンの該当者がVIP患者席に入る際に、たけしが「○○みたいだ」(「三世代住宅」、「ぼったくりバーの犯人」など)などといじる場合がある。
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「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」の記事における「演出について」の解説
ヴィリー・ボスコフスキー時代には、ウィーン・フィルの打楽器奏者であるフランツ・ブロシェクが毎年愉快な演し物を用意しており、名物となっていた。例えば、『ジプシー男爵』の入場行進曲ではブタ飼いシュパンに扮したブロシェクが豚を抱えて登場、場内大爆笑だったり(1969年)、『鍛冶屋のポルカ』では鍛冶屋の親方に扮して飲み食いしながら演奏したり(1971年)、『山賊のギャロップ』では山賊に扮して演奏中の楽員から金品を盗んで回ったり(1972年)、『爆発ポルカ』では工事現場の作業員の格好をして爆破装置のスイッチを押し、曲の最後に舞台上に風船を飛ばしたり紙吹雪を降らせる(1974年)などである。 ブロシェク引退後も、打楽器パートが中心になって毎年さまざまな趣向が凝らされている。少しエスカレートしすぎた1970年代前半には、「今年は悪ふざけをセーブ」という内容の記事が朝日新聞に紹介されたこともあった。1976年は、エドゥアルト・シュトラウス1世のポルカで、ファゴットの先端(ベルジョイント)から花火が上がったこともあった。2006年には、エドゥアルト・シュトラウスの『電話のポルカ』の最後で、指揮者のヤンソンスの持っている携帯電話が鳴り出すという演出があった。2008年/2009年には、『美しく青きドナウ』のエンディングに、ダンサーの男女を客席通路で踊らせた。2008年には、UEFA欧州選手権2008のオーストリアでの開催を記念し、奏者全員がタオルマフラーなどのグッズを身につけて演奏したり、指揮者と演奏者の間でイエローカード、レッドカードの応酬が繰り広げられた。2010年には、『シャンパン・ポルカ』の演奏中に、打楽器奏者が実際にシャンパンを開けて乾杯を交わし、指揮者のプレートルが「私の分はないのか?」と言いたげな仕草をするなどの演出があった。 また、1987年には、『春の声』において、ソプラノのキャスリーン・バトルと共演したが、このようなゲストを招く演出は、これ以降見られない。テノール歌手のプラシド・ドミンゴが、1990年代初頭に指揮者かソリストで出演を希望したところ、ウィーン・フィル側が「コンサートの趣旨に合わない」として出演要請をはねつけたといわれる。一方で、ウィーン少年合唱団はこのコンサートでたびたび共演している。
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演出について
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「カルメン (オペラ)」の記事における「演出について」の解説
モブ(群集)シーンが多いことが特徴として挙げられる。第1幕 タバコ工場の女工達&それに群がる男たち 第2幕 酒場の客 第3幕 密輸団 第4幕 闘牛士の一団と観客たち 劇中にフラメンコ舞踏を挿入する演出が頻繁に行われる。2幕冒頭や4幕前の間奏曲にあわせて踊ることが多く、また、オリジナルにはないフラメンコ用の曲を挿入して見せ場とする場合もある。 4幕の闘牛士一団の行進のシーンは劇中でもっとも盛り上がる場面のひとつであり、メトロポリタン歌劇場などの大劇場では、豪華絢爛な衣装を身に着けた多数の闘牛士と、本物の馬をも多数動員した、大がかりな演出が行われる。一方、予算の限られた小公演では、このシーンを低コストでどのように作り上げるのかが大きな課題となる。
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