番組開始当初
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1981年から1985年までは原則として『ANNスポーツニュース』(1981年平日のみ『ANNニュースファイナル』)終了後から放送されていた。その後の1986年以後、平日は『ニュースステーション』明けのミニ番組の後に放送されていたが、概ね平日は23:25から、週末は年度にもよったが23:20から23:30ぐらいには放送を始めていた。1990年代以後の週末はニュースワイド番組が新設された影響で23:55以後(日付を跨いで0時過ぎになることもあった)始まったこともある(以上はフルネット局では同時ネットであった)。 テレビ朝日のみで放送する関東ローカルパートは、テレビ朝日アーク放送センター稼働開始(1985年9月)の翌年(1986年)から、センター1階のニューススタジオ(当時は『ニュースステーション』などの全国ニュースで使用)で収録。同局の若手男性アナウンサーから1名(大熊英司・真鍋由・国吉伸洋・角澤照治・山口豊など)が、代々キャスターを務めていた。 九州朝日放送では、少なくとも1992年まで、企画ネット方式の自社制作を継続。当時の同局アナウンサー(月俣幸三や師岡正雄など)が福岡大会の結果と他地区の代表校を伝えていたほか、少なくとも1989年には早朝(7:00 - 7:15)に放送されていた。また、朝日放送(当時)では少なくとも1983年に、本放送翌日の早朝(7時台)に再放送を実施していた。
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番組開始当初
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 01:59 UTC 版)
1981年から1985年までは原則として『ANNスポーツニュース』(1981年平日のみ『ANNニュースファイナル』)終了後から放送されていた。その後の1986年以後、平日は『ニュースステーション』明けのミニ番組の後に放送されていたが、概ね平日は23:25から、週末は年度にもよったが23:20から23:30ぐらいには放送を始めていた。1990年代以後の週末はニュースワイド番組が新設された影響で23:55以後(日付を跨いで0時過ぎになることもあった)始まったこともある(以上はマストバイでは同時ネットであった)。 テレビ朝日のみで放送する関東ローカルパートは、テレビ朝日アーク放送センター稼働開始(1985年9月)の翌年(1986年)から、センター1階のニューススタジオ(当時は『ニュースステーション』などの全国ニュースで使用)で収録。同局の若手男性アナウンサーから1名(大熊英司・真鍋由・国吉伸洋・角澤照治・山口豊など)が、代々キャスターを務めていた。 九州朝日放送では、少なくとも1992年まで、企画ネット方式の自社制作を継続。当時の同局アナウンサー(月俣幸三や師岡正雄など)が福岡大会の結果と他地区の代表校を伝えていたほか、少なくとも1989年には早朝(7:00 - 7:15)に放送されていた。また、朝日放送(当時)では少なくとも1983年に、本放送翌日の早朝(7時台)に再放送を実施していた。
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