『オズの魔法使』
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「ジュディ・ガーランド」の記事における「『オズの魔法使』」の解説
1939年にミュージカル映画『オズの魔法使』で主役ドロシーに大抜擢され、人気スターとなる。 『オズの魔法使』を製作したMGMは、当初、ドロシー役をライバル社20世紀FOXの人気子役だったシャーリー・テンプルに演じさせようと考え、その条件としてMGM側がクラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウという2人の大スターを20世紀FOXへ貸し出す交渉がすすめられていた。 しかしハーロウが1937年に急死し、交渉が頓挫したため、代役としてジュディが急遽ドロシー役を演じることになった 。 結果『オズの魔法使』はジュディの才能を大々的に世に知らしめるものとなり、この役でアカデミー子役賞を受賞する。 MGMは当時の大スターだったミッキー・ルーニーとコンビを組む「舞台裏ミュージカル」と呼ばれるシリーズを次々と制作しヒットさせた。2人は『サラブレッド・ドント・クライ』(1937年)で初共演した。ルーニーが主役のアンディ・ハーディを演じるハーディ・ファミリー・シリーズの4作目『初恋合戦』(1938年)に、ガーランドは隣に住む少女として出演した。ただしアンディが恋するのはラナ・ターナー演じるシンシアである。『青春一座』(1939年)で初めてダブル主演となり、その後ハーディ・ファミリー・シリーズの『アンディ・ハーディ・ミーツ・デビュタント』(1940年)、『二人の青春』(1941年)を含む5作で共演した。また、空前の大ヒットとなった『若草の頃』(1944年)、『ハーヴェイ・ガールズ(英語版)』(1946年)、フレッド・アステアと共演する『イースター・パレード』(1948年)といった娯楽大作で主役をつとめ、国民的な人気俳優としての地位を不動のものとしてゆく。
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