『オシアン』とは? わかりやすく解説

『オシアン』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 22:12 UTC 版)

ジェイムズ・マクファーソン (詩人)」の記事における「『オシアン』」の解説

1761年マクファーソンは、スコットランド・ハイランド地方太古の英雄詩オシアン作して歌ったとする、英雄フィンガルまつわる一大叙事詩発見した発表し12月に『フィンガルFingal, an Ancient Epic Poem in Six Books, together with Several Other Poems composed by Ossian, the Son of Fingal, translated from the Gaelic Language)』を、1763年には『テモラ(Temora)』(『タイモーラ』)、1765年には集成版『オシアンThe Works of Ossian)』を出した。これら作品は、名目上は「詩」であるが、じつは音楽的なリズム持った散文書かれているのが特徴である。 この英雄詩オシアン原型は、アイルランドの伝説英雄詩人オシーン(Oisín)であり、フィンガルモデルも、フィン物語群主人公英雄詩人の父親フィン・マックールであるはずである。しかしマクファーソンは、これらをアイルランド出身ではなく純粋にスコットランド土着の英雄たちという設定登場させたことで、のちにアイルランドから痛烈に排撃されることになる。 オシアンは、ゲール語名オシェンの英語化名(en:anglicization)であるが、日本ではオシァンというカナ表記従来用いられてきた。「フィンガルFingal, Fionnghall)」という綴りは、いささか特異で、真作ゲール語詩でも「フィン」の方が一般的であるが、ジョン・バーバー(英語版)(1395年没)の『ブルース』(ロバート1世 (スコットランド王)伝)にもフィンガル(Fyngal)の語形認められるとされている。フィンガルの意味は「白い異邦人」と解されケルト人ゴート人(ゲルマン系)をそう呼んだとの説もある。 当時は、原文を自由訳することも、創作部分混入日常茶飯事だったが、ただ、マクファーソンは、自分の「翻訳」が、一字一句たがわず英雄詩オシアン書いた本物ゲール語詩だと喧伝したことで、非難浴び結果となった作品読めば明らかに現代風であり、西暦3世紀作品ではありえないとの感想また、ハイランド地方文盲であり、スコットランド・ゲール語は、口承のみの言語であり、そんな千年余前の大昔から、口伝えで完全に保存される文学など不可能、などの批判であったまた、集めた写本から訳しているとも主張したことが、論争のひとつの焦点になったなかでも強力な弾劾論者サミュエル・ジョンソン博士で、「百年と古いと証明できるアース語(スコットランド・ゲール語)は、500行と回収できまい存ずる。だがオシアンの生みの父は、に二箱分の古歌をまだ温めているが、イギリス人にはもったいないと吹聴していると聞き及ぶ」と極論したことは、つとに有名である(『スコットランド西方諸島の旅(A Journey to the Western Islands of Scotland)』(1775年))。これはいささか過言毒舌であるが、要するスコットランド語で、オシァンの詩が書かれ原文写本があれば見せてみろと挑発つづけたのである。に対しマクファーソン誰にもはっきりと開放的に写本提示することはなく、ジョンソン博士がその言を撤回しないと危害加えるという恐喝状(一説では決闘挑戦状)を送りつけたことも有名である。 ジョンソンについては、ゲール語解さずスコットランド人に対して偏見保持者との定評がある。マクファーソン文才認めず嘲笑した公正な批評家ではないとの見方もされる。だが実は、マクファーソン作品のよき理解者でもあった、スコットランド哲人デイヴィッド・ヒュームも、『フィンガル』の原文写本公開して証拠提出」してみせるべきだという忠告を、マクファーソンに対して、かなり早期(1763年)におこなっている。さらにはハイランド地方詩吟者がいるという証拠を、その出身氏名、および『オシァン詩集』の何ページ目を詩吟できるか等のデータとして記録せよ、との手法論提示していた。(これは、注目に値することで、なぜなら後世学者スキーンは、この頃はまだ口承文学厳密に採集するなどまったく未知のものだった、などと解説しているからだ)。だが、このヒューム勧告に対しても、マクファーソン逆上してみせたといわれる結局マクファーソンは、三十余年後に没するまで、オリジナル写本部外者公開することはしなかった。一般公開はしたとは口承しているが、がぜん、見た証言する者が、オシァン作成に関わった内輪人間ばかりだった。とどのつまりマクファーソンは、詩や物語断片を見つけ、それらを自身創作であるロマンス中に織り込んだのだろうという意見が、ジョンソン博士のみならず、他の知識人や一般層にもだんだん浸透することになったマクファーソン死後、スコットランド・ハイランド協会当事者たちから貴重な証言集大成して報告書(Mackenzie 1805)にまとめた。この報告は、きっぱりとした結論明文化しなかったため、その後賛否両論者の間で、あらゆる証拠都合いいよう取沙汰された。しかし、報告書のなかに垣間見える結論は、後年のウィリアム・スキーン(英語版)よれば、次のようなものである1. マクファーソンの詩の登場人物捏造ではなく実際にハイランドに伝わる伝説人物である。オシアン詩ともいえる詩は実在した。2. そうした詩は、ほとんど短詩だが、いつ頃からか伝承され暗誦できる人間ハイランド実在する。3. なかには写本(MSS.)に記録される詩もある。4. マクファーソンは、そうした詩を使用したが、別個の破片をつなぎ合わせるのに自作接続的説話(connective narrative of his own)を足し合わせて、より長い詩や、いわゆる長編叙事詩(epic)に編み込んだ。(MacLauchlan 1862)。スキーンは、以上の結論に、有識知識人偏見もたない一般世間誰もが同調するはずだ、と言い、ただ、マクファーソン加工した度合いが、純粋な古歌比してどのくらいだったかについて、議論分かれると言っている(1862年当時)。 さらには1807年に、オシァン詩集ゲール語版である『フィン息子オシァンの歌 (Dana Oisin Mhic Finn)』が出版された。これはマクファーソン自筆遺稿から出版されている。近年日本語訳者はこれを真正ゲール古歌とするが、これもマクファーソンやその関係者による創作とみなすのが一般論である(#写本の謎参照)。

※この「『オシアン』」の解説は、「ジェイムズ・マクファーソン (詩人)」の解説の一部です。
「『オシアン』」を含む「ジェイムズ・マクファーソン (詩人)」の記事については、「ジェイムズ・マクファーソン (詩人)」の概要を参照ください。

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