オシアン詩集と漱石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 13:55 UTC 版)
作品から一世紀余、夏目漱石は当時の(英国での)オシアン作品についての評価をこう紹介している:「また十八世紀の末に『オシァン』が出た。これはマクファーソンの胡魔化しものだというが、とにかくこれが出た時は非常な評判でゲーテも愛読し、ナポレオンも愛読した。しかるに現在の英人は『オシァン』を単に歴史上の一現象として見る以外になんらの興味をも有しておらん。興味を有しておらんのみならず、とうてい読み切れないなどと特筆する評家さえある。してみると『オシァン』は出版当時の人気には合い、現今の人気にはとうてい合わぬのである。」(夏目漱石『文学評論』) "明治三十七年二月の「英文学叢誌」に、漱石は「セルマの歌」と「カリックスウラの詩」を発表した。"。漱石訳「セルマの歌」の冒頭部は、「暮れ果てて、わびしくも、あらしの阜に一人。峰に聴く風の音、岩を下る早瀬。..」と詠まれる。(原文:Colma "It is night, I am alone, forlorn on the hill of storms.")。これについては、漱石が特に"ウェルテルがロッテに朗読して聞かせる「コルマ」「リノ」「アルピン」の部分"の抄訳をおこなったことが指摘されている
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