オシアン世界の地理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 01:17 UTC 版)
モールヴェン:本来は Mor-Earran「大いなる区画」という意味で、現今のモーヴァーン(英語版)にその名残をとどめるとの説が、ゲール語版オシアン詩集の編者側からだされている。 セルマ:フィン王の王都は、ベンダーロック(英語版)にあった旧ベリゴニウムの町の城址に比定する説があるが、否定的な意見も。じつはこの遺跡はエティヴ湖の北岸にあり、「(ウ)スニアハンの子らの砦」(Dun mac [U]Sniachan)と呼ばれて、地元ではデアドラ伝説のウシュリウの子ら(上述のナーホスらウスノーの息子ら)の拠点と伝えられたらしい。 ドゥン・スカーイッヒ(英:Dunscaith, Dun-Sgathaich; 蘇:Dùn-scàthaich): スカイ島にある「恐ろしい塞(とりで)」と語釈されているが、おそらくクーフーリンの修行先、「スカアハの砦」の転訛であろう。 テモラ/タイモーラ(英:Temora; 蘇:Tighmora):これは、フィン王の第2の王都?マクファーソンは、アイルランド上王の都タラから、フィンガルの王都テモラ/タイモーラと、アイルランドの王都トゥラの両方を派生させた、と見るのが道理であるが、弁解として、タイモーラはじつは「大いなる家」つまり「王宮」の意味であり、固有地名ではないのだが、マクファーソンが誤解した、と説明される。
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