北米艦隊、喜望峰艦隊、東インド艦隊旗艦
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「ウィンチェスター (帆走フリゲート)」の記事における「北米艦隊、喜望峰艦隊、東インド艦隊旗艦」の解説
ウィンチェスターの発注は1816年であったが、起工は1818年であり、進水は1822年6月21日と遅れた。就役は同年の9月16日であった。それから1839年までチャールズ・オースティン(著名な作家であるジェーン・オースティンの弟)艦長の下、北米・西インド艦隊(North America and West Indies Station)の旗艦として活動した。1842年には、チャールズ・エデン(Charles Eden)艦長の下、喜望峰艦隊(Cape of Good Hope Station)の旗艦となり、1852年と1853年にはビルマでの軍事活動に参加している。1853年から1854年まで、フリートウッド・ペリュー少将指揮下の東インド・中国艦隊の旗艦となり香港にあった。ここで彼は熱病と感染症が収まるまで出港を控えていたが、部下にはその理由を伝えていなかった。このため、水兵は反抗的な態度をとるようになった。ペリューは「総員配置に付け」のドラム(Beat to quarters)を打ち、水兵たちがこれを拒否すると、士官たちを派遣して剣をもってこれを強制した。数人が負傷したが、反乱の発生は防ぐことができた。 1854年、ウィンチェスターはジェームズ・スターリング少将の旗艦となった。この間にアロー戦争が勃発し、ウィンチェスターの艦載艇が広東攻撃に参加している。
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