北米駐在・騎兵畑とは? わかりやすく解説

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北米駐在・騎兵畑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:03 UTC 版)

栗林忠道」の記事における「北米駐在・騎兵畑」の解説

騎兵15連隊中隊長騎兵監部員を経て1927年昭和2年)、アメリカ駐在武官在米大使館附)として駐在帰国後の1930年昭和5年3月陸軍騎兵少佐進級4月には陸軍省軍務局課員1931年昭和6年8月再度北米カナダ駐在武官(在加公使館附)として駐在した栗林2年間に渡ってアメリカ各地回ってアメリカ軍軍人だけではなく一般市民とも親交深めた栗林アメリカ人評は「朗らかで気さくな人が多い」であり、アメリカ人との交流について、妻よしゐやまだ字が読めない長男太郎宛に、イラスト漫画描き込んだユーモアにあふれる多くの手紙を送っている。 フォート・ビリス(英語版)では騎兵訓練受けているが、そのとき教官であったジョージ・ヴァン・ホーン・モーズリー(英語版准将からは、「尊敬する栗林へ、貴官との愉快な交際忘れません」と書かれた記念写真受け取っている。栗林はフランス・ドイツ志向の多い当時陸軍内では少数派であった知米派」で、国際事情にも明るくのちの対米開戦にも批判的であり、妻のよしゐに「アメリカ世界大国だ。日本はなるべくこの国との戦い避けるべきだ。その工業力は偉大で、国民勤勉である。アメリカ戦力決し過小評価してならない」と話したこともあった。 1933年昭和8年8月陸軍騎兵中佐同年12月30日陸軍省軍務局馬政課高級課員となりさらに1936年昭和11年8月1日には騎兵第7連隊長就任する1937年昭和12年8月2日陸軍騎兵大佐進級し陸軍省兵務局馬政課長。馬政課長当時1938年昭和13年)には軍歌愛馬進軍歌』の選定携わっている。1940年昭和15年3月9日陸軍少将進級し騎兵第2旅団長、同年12月2日騎兵第1旅団長に就任

※この「北米駐在・騎兵畑」の解説は、「栗林忠道」の解説の一部です。
「北米駐在・騎兵畑」を含む「栗林忠道」の記事については、「栗林忠道」の概要を参照ください。

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