『牧歌』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:37 UTC 版)
詳細は「牧歌 (ウェルギリウス)」を参照 『牧歌』はウェルギリウスの第一作である。『選集』ともいい、特に英米語圏ではもっぱら『選集』と呼ばれる。シチリア生まれの詩人テオクリトスの牧歌の影響を大いに受けている為、その背景はコス島とシチリアを基礎としギリシア文化圏のドーリス方言の発祥地である「アルカディア」になっているが、実際には当時のイタリアの風物や人物を織り込んでおり、イタリアをその後継地としており、昇華された理想郷として超越して理念化されている。このことは、テオクリトスの『牧歌』ΕΙΔΥΛΛΙΑ と対蹠的である。 『牧歌』は六歩脚で歌われた詩集である。伝統的な伝記記述によると、ウェルギリウスが制作を始めたのが紀元前42年、詩集の出版が紀元前39-38年とされるが、疑わしい。ヘレニズム派の詩人テオクリトスはギリシア語の六歩脚で田園の情景を歌い、田園詩・牧歌のジャンルを開拓したが、本作、ウェルギリウスの『牧歌』もテオクリトスの様式を大まかに踏襲している。オクタウィアヌスは紀元前42年にピリッポイの戦いでユリウス・カエサルを暗殺した者たちに率いられた軍を破ったが、自分に付き従ったレギオンへの褒美としてイタリア半島北部の土地を収用し、彼等に分け与えることを考えた。伝統的な伝記記述に沿った推測によると、マントウァ近くにウェルギリウスが有していた地所も、その収用の対象になった。そして、この一族の農地の喪失と、これを取り戻そうとする思いを歌にするという、「詩作を通した請願活動」こそがウェルギリウスが『牧歌』を制作した動機であったというのが、伝統的な解釈である。しかしながら、現在では作品の解釈を通して、支持されない推測である。『牧歌』第1歌と第9歌でウェルギリウスはたしかに、田園詩に典型的なイディオムを借りて、対比的に土地収用の非道により沸き立つ激情を歌う。しかしそこには、伝承どおりの伝記的事項の証拠と間違いなく言えるものはまったく示されていない。ウェルギリウスその人と、作中のさまざまな登場人物とを結びつけ、彼等の浮沈に詩人の生涯を読み取ろうとする読みは、昔からあるものである。例えば、第1歌にある年老いた農夫が新しい神に捧げる感謝の言葉や、師匠のお稚児さんへの届かぬ思いを歌う第2歌の詩人、詩人の師匠が過去にいくつかの田園詩を制作したという第5歌の文言、これらにウェルギリウスの実体験の反映を見る説が昔からある。しかしながら、架空の作品(フィクション)から伝記的事項をかき集めるこの種の作業を拒絶する研究者が近年の大勢を占める。現代の西洋古典学においては、同時代の生活や思想が描き出されたものとして作品を捉え、作者の人格やテーマを解釈することが好まれる。 全10歌からなる『牧歌』はヘレニズム派の田園詩の伝統を受け継ぎながらも新たな視座でその主題を捉えている。第1歌及び第9歌は土地の没収とその波紋について歌い、第2, 3歌は同性愛と両性愛の魅力を歌い、牧歌的であると同時にエロティックである。第4歌はアシニウス・ポッリオに宛てた形式をとっているが「救世主の歌」とも呼ばれている。これは第4歌中で歌われる、ある赤子の誕生に対して、ウェルギリウスが黄金時代の到来を思わせる比喩を用いることにそのゆえんがある。その赤子が誰を指すのかは不明であり、議論され続けている。第5歌は歌比べにおいてダフニスの神話を物語り、第6歌は宇宙的で神話的なシルウァーヌスの歌を歌う。第7歌で歌比べはいよいよ熱を持ち、第8歌で再びダフニスの神話に戻る。第10歌では同時代のエレギーア詩人ガイウス・コルネリウス・ガッルスの受難を歌う。ウェルギリウスは本作で、ペロポンネソス半島に実在する一地方であるアルカディアを理想郷の「アルカディア」として定位せしめたと考えられている。『牧歌』が確立した「アルカディア」像は西洋文学と西洋美術に現代まで連綿と続く影響を与えた。また、ラテン文学における田園詩は、本作の影響を受けたティトゥス・カルプルニウス・シクルスやマルクス・アウレリウス・オリュンピウス・ネメシアヌスなどによりさらなる発展をみた。
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