浅見淵とは? わかりやすく解説

浅見淵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 14:56 UTC 版)

浅見 淵(あさみ ふかし、1899年明治32年〉6月24日[1] - 1973年昭和48年〉3月28日[1])は、日本小説家[2]文芸評論家

人物・来歴

兵庫県神戸市に生まれる[1]。1926年早稲田大学文学部国文科卒業[1]。在学中に「朝」の同人に加わり[1]、初めて書いた小説「山」が下村千秋に推賞される[要出典]。1933年尾崎一雄丹羽文雄らとともに「小説」を創刊[1]。1934年尾崎と丹羽、田畑修一郎と「世紀」を創刊[1]。1935年尾崎と小田嶽夫らと「木靴」を創刊[1]。同年、砂子屋書房の創業に参加[1]。戦中は満洲国で文学活動を行った[1]。1949年早稲田大学高等学院講師[1]、翌年同学院専任教員[1]。1960年早稲田大学商学部に出講[1]、1970年定年退職[1]

戦後は井伏鱒二上林暁らの「阿佐ヶ谷会」の主要メンバーで、尾崎一雄と親しく、随筆『単線の駅』や、回想記『あの日この日』によく出ている[要出典]。文芸評論家としては梅崎春生石原慎太郎三浦哲郎五木寛之らをいち早く見出し[1]、新人作家発掘に力を注いだ[1]。没後に著作集(全3巻)が刊行。

著書

編集

編著

翻訳

著作集

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 浅見 淵 | 兵庫ゆかりの作家”. ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 28頁。

外部リンク


浅見淵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「浅見淵」の解説

弟・浅見篤三高の文丙2年時に、「江戸カフェ」や「正宗ホール」で3年の基次郎親しくなり、「カフェ・レーヴン」や遊廓演奏会にも一緒に通った。『青空同人となった篤は基次郎より2歳下。その後、篤を通じて淵と基次郎神楽坂の「紅屋」の二階初対面した。浅見兄弟西洋人くさい風姿をしていて、篤は神戸買ったボルサリーノ帽子被り、基次郎が「ええなあ」と羨ましがった。淵が同人参加した文藝都市』に、基次郎も後から加入した

※この「浅見淵」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「浅見淵」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「浅見淵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浅見淵」の関連用語

浅見淵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浅見淵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浅見淵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの梶井基次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS