李陵とは? わかりやすく解説

り‐りょう【李陵】

読み方:りりょう

[一][?〜前74中国前漢武将隴西(ろうせい)(甘粛省)の人。字(あざな)は少卿。武帝の時、騎都尉として匈奴(きょうど)と戦い敗れて降る。単于(ぜんう)に認められて右校王に封ぜられ、二十余年後に病没

[二]中島敦短編小説遺稿として、著者没後昭和18年1943)、「文学界」誌7月号に掲載題名著者生前親交のあった深田久弥がつけたもの


李陵

作者中島敦

収載図書李陵・山月記名人伝
出版社旺文社
刊行年月1989.4
シリーズ名必読名作シリーズ

収載図書昭和文学全集 7
出版社小学館
刊行年月1989.5

収載図書日本幻想文学集成 9 中島敦
出版社国書刊行会
刊行年月1991.12

収載図書ちくま日本文学全集 036 中島敦
出版社筑摩書房
刊行年月1992.7

収載図書中島敦全集 3
出版社筑摩書房
刊行年月1993.5
シリーズ名ちくま文庫

収載図書山月記・李陵 他九篇
出版社岩波書店
刊行年月1994.7
シリーズ名岩波文庫

収載図書李陵・山月記檸檬愛撫十六
出版社文芸春秋
刊行年月1999.6
シリーズ名文春文庫

収載図書李陵・山月記
出版社小学館
刊行年月2000.3
シリーズ名小学館文庫

収載図書中島敦全集 1 小説
出版社筑摩書房
刊行年月2001.10

収載図書山月記・李陵―他九篇
出版社岩波書店
刊行年月2003.2
シリーズ名ワイド版岩波文庫

収載図書山月記・李陵 他九篇
出版社岩波書店
刊行年月2003.4
シリーズ名岩波文庫

収載図書山月記・李陵ほか
出版社教育出版
刊行年月2003.8
シリーズ名読んでおきたい日本名作

収載図書李陵・山月記 改版
出版社新潮社
刊行年月2003.12
シリーズ名新潮文庫

収載図書歴史への視点 新装版
出版社學藝書林
刊行年月2004.8
シリーズ名全集 現代文学発見

収載図書山月記 李陵
出版社フロンティアニセン
刊行年月2005.2
シリーズ名第2刷 (フロンティア文庫)

収載図書斎藤孝音読破 5 山月記
出版社小学館
刊行年月2005.4

収載図書山月記・李陵
出版社舵社
刊行年月2006.3
シリーズ名デカ文字文庫

収載図書中国小説集
出版社ランダムハウス講談社
刊行年月2007.6
シリーズ名ランダムハウス講談社文庫

収載図書中島敦
出版社筑摩書房
刊行年月2008.3
シリーズ名ちくま日本文学


李陵

読み方:リリョウ(riryou)

作者 中島敦

初出 昭和18年

ジャンル 小説


李陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/02 07:39 UTC 版)

蘇武を見送る李陵

李 陵(り りょう、? - 紀元前74年)は、前漢軍人。字は少卿。匈奴を相手に勇戦しながらも敗北して抑留され、以降匈奴の地で生涯を終えた。

匈奴に善戦する

祖父の李広文帝景帝武帝に仕えた悲運の将軍として知られた人物であり、父の李当戸は武帝の寵臣であった韓嫣を殴打した剛直の士であった。父の李当戸は彼が生まれる数か月前に早世し、李陵は李当戸の遺腹の子である。

紀元前99年天漢2年)、騎都尉に任命された李陵は武帝の命により弐師将軍李広利の軍を助けるために五千の歩兵を率いて出陣した。しかし合流前に単于が率いる匈奴の本隊三万と遭遇し戦闘に入る。李陵軍は獅子奮迅の働きを見せ、六倍の相手に一歩も引かず八日間にわたって激戦を繰り広げ、匈奴の兵一万を討ち取った。そのことを部下の陳歩楽を遣わして、武帝に報告させた。だが、さすがに李陵軍も矢尽き刀折れ、やむなく降伏した。

李陵が匈奴に降伏したとの報告を聞いた武帝は激怒し、郎中に任命されていた陳歩楽を問詰し、陳歩楽は自決した。群臣も武帝に迎合して李陵は罰せられて当然だと言い立てた。その中で司馬遷だけが李陵の勇戦と無実を訴えたが、武帝は李広利を誹るものとして司馬遷を投獄し、後に宮刑に処した。

匈奴の右校王として

李陵の才能と人柄を気に入った且鞮侯単于は李陵に部下になるように勧めるが李陵は断っていた。しばらくしてから武帝は後悔し、李陵の残部に褒美を与え、公孫敖に命じて李陵を迎える。しかしこの計画は失敗した。逆に公孫敖は匈奴の捕虜から「李将軍」が匈奴に漢の軍略を教えていることを聞いた。武帝は激怒し、李陵の妻子をはじめ、母・兄と兄の一家らは謀叛の罪により連座して死刑となった。実情を知らない隴西の民は李氏一族を憐れみ、潔く戦死せずに家族を巻き添えにする李陵のことを恥じいて忌み嫌ったという。しかし本当の「李将軍」とは、李陵より先に匈奴に帰順した漢人の李緒という将軍のことであった。

漢の使者からこのことを聞いて李陵は一族の非業の死に嘆き悲しみ、その李緒を自ら殺害した。そのため大閼氏(且鞮侯単于の母)は怒って李陵を殺害しようと計画した。且鞮侯単于は李陵を北方に匿った。大閼氏の死後、李陵は内地に戻り、後に且鞮侯単于の娘を娶って、その間に子を儲けた。彼は単于からの頼みで匈奴の右校王となり、数々の武勲を立て、紀元前74年に没した。

匈奴の王女との間に儲けた李陵の子は、呼韓邪単于の時代に、別の単于を立てて呼韓邪単于に叛き、呼韓邪単于によって処刑されている。

かつて匈奴へ使節として赴いた人物の中で、李陵とは対照的に漢に忠節を貫く頑な態度を取ったのが、かつて李陵とともに侍中として武帝の側仕えをした蘇武であった。李陵は節を全うしようとする蘇武を陰から助けている。

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